突然のパートナーの転勤。キャリアか家族か?ではない令和の働き方【前編】|Forbes JAPAN

突然のパートナーの転勤。あなたはついていきますか? パートナーや家族の環境変化と自身のキャリア構築をグローバルに両立している3人にインタビュー。前編は「パートナーとの調整」について。
この記事は2021年3月11日にForbes JAPAN Webサイトに掲載された記事を一部編集したものです。Marisol ONLINEとForbes JAPANはメディアパートナーとして相互提携を行っています。
突然のパートナーの転勤。キャリアか家族か?ではない令和の働き方
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メンバーシップ型雇用が主流の日本では、転勤などで働く場所や期間が変更されることがよくあります。夫婦共働きの場合には、その度に、家族と一緒に暮らすために自身のキャリアを中断するか、あるいはキャリアを構築するために家族と別居するか、という二者択一を迫られる場面が少なくありません。
 
転勤だけでなく、転職や駐在、子育てなど、さまざまな転機で転居を余儀なくされるケースがありますが、もし、パートナーと共にキャリアを構築しつづけながら家族で一緒に暮らす、という新たな選択肢があればどうでしょうか。
 
そこで、パートナーや家族の環境変化と自身のキャリア構築をグローバルに両立されている3人のゲストをお迎えし、家族の状況に合わせてキャリアをすり合わせ、柔軟なライフスタイルを築いていくためのポイント、視点について考えてみました。

 

突然のパートナーの転勤。キャリアか家族か?ではない令和の働き方【前編】|Forbes JAPAN_1_2

1人目のゲストは、米シアトル在住の倉石彩乃さんです。早稲田大学を卒業後、リクルートに入社し、人材育成や研修などに従事されました。結婚、出産を機に退職し、夫が働くアメリカへ移住。子育てと両立しながら仕事を再開し、現在は米アマゾン本社で働いています。ご家族の仕事にあわせての移住はよくあるケースですが、移住先で自力でキャリアを構築した過程をお聞きすべくご参加いただきました。
 
2人目のゲストは、環境省職員の辻景太郎さんです。2012年より2年間アメリカのUCLAへ国費留学し、現地で知り合ったインドネシア人の女性と2015年に結婚されました。現在は、JICA環境政策アドバイザーとしてインドネシア赴任4年目を迎えます。組織内での交渉を経てインドネシア赴任を実現された辻さんには、赴任地やポジションの選択に制限があるなかでどのように解決策を探ったか、その過程を詳しくお話いただきます。
 
3人目のゲストは、カリフォルニア在住の瀬尾亜由さんです。2012年にファイザー日本法人を退職後、アメリカのジョンズホプキンス大学へ留学。第一三共(ニュージャージー州)を経て、現在は米国アステックス社にて製薬の研究開発に従事されています。研究者である夫と自身のキャリアをすり合わせながら住む場所や時期を柔軟に選択された過程をお話しいただきます。
 
※なお、本コラムは全て、発言者の個人的見解であり、いかなる所属組織とも無関係です。

 

 

家族のライフステージに合わせてキャリアをすり合わせる


竹崎孝二(以下、竹崎):今日参加していただいた方は皆さん海外にお住まいで、家族と一緒に暮らしながら、かつ、自身もパートナーもキャリアを構築しているという共通点があります。お一人ずつ、キャリアのバックグラウンドをお話いただけますか。

辻景太郎氏(以下、辻):私は環境省の職員で、2012年から14年までアメリカの大学院に留学し、その時にクラスメイトだったインドネシア人とお付き合いを始めて、2015年に結婚しました。3年間の遠距離生活の後、2017年からインドネシアの環境林業省にJICA環境政策アドバイザーとして赴任しており、妻と子供とインドネシアの首都ジャカルタで暮らしています。

辻景太郎氏:ジャカルタ近郊 バンタルグバン廃棄物最終処分場
辻景太郎氏:ジャカルタ近郊 バンタルグバン廃棄物最終処分場

竹崎:辻さんの奥さんはインドネシアの財務省で働かれているので、日本の政府職員とインドネシアの政府職員が国際結婚されたというなかなか珍しいケースですよね。瀬尾さんは、いかがですか。
 
瀬尾亜由氏(以下、瀬尾):私は日本の大学院を卒業したあと、製薬会社の研究開発部門で働いていました。私も2012年から2014年まで、アメリカのジョンズホプキンス大学にMBAと公衆衛生のダブルメジャーで留学をしたのですが、その時に知り合った日本人と2014年に結婚しました。辻さんと似ていますね。
 
その後3年間は、アメリカと日本、アメリカの東海岸と西海岸という遠距離を経て、私が今の仕事を見つけたことをきっかけに、2018年から西海岸のサンフランシスコでようやく一緒に暮らせるようになりました。

 

倉石彩乃氏(以下、倉石):私はシアトルのアマゾン本社で働いています。主人は大学時代からの知り合いです。彼は大学卒業後、ボストンの大学院に進学し、そのままアメリカで就職。私は日本のリクルートで仕事をしていました。結婚前から主人には「アメリカに留学に来てはどうか」と言われたのですが、仕事が楽しかったのでためらっていたんです。そうこうしているうちに結婚、子どもができ、良い機会だということでアメリカに移住して、今に至ります。

 

瀬尾亜由氏
瀬尾亜由氏

時間軸を区切る


竹崎:人生の転機を迎えたとき、大きく分けると「パートナーとの調整」と「職場との調整」があると思います。まずパートナーとの調整について伺いたいのですが、自分やパートナーに転居が伴う転機が訪れたとき、転居のタイミングや転居先となる場所をどのようにすり合わせましたか? 

瀬尾:私たちのケースを紹介すると、私は海外で働いてみたいという一心で日本での安定した仕事を辞めて留学したので、卒業後は絶対にアメリカに残って働きたいと考えていました。一方、夫は既に5年くらいアメリカに滞在していたので、一旦日本に帰国したいと考えていたんです。

そこで、ひとまず私はアメリカに残って東海岸のニュージャージー州で働き、夫は日本に戻ることにしました。どちらかの希望に合わせたところで優先した方のキャリアが成功する確証はないですし、どちらか片方のキャリアを犠牲にしても長期的にはお互いハッピーにはならないと思ったんです。

 

竹崎:それぞれのキャリアを追い求めると、そのままずっと別々に暮らすことになってしまいませんか?

 

瀬尾:そうならないように、時間を区切りました。まずは「3年」を目処にお互い好きなことをやってみようと。3年が経った時点で、どちらかが成功してどちらかが失敗していたら、成功している方に合わせる。もしどちらもうまくいっていたら、ボストンかサンフランシスコを合流地点として互いに転職し、そこで一緒に暮らそうという話になりました。

 

竹崎:お互い譲歩や妥協をせずにチャレンジし、3年経った時点でもう1回レビューしようという話を事前にできていたということですね。なぜ期間を「3年」に設定されたんですか。

 

瀬尾:どんな仕事でもある程度キャリアを積むと、2~3年くらい経験したところで、自分にフィットしているか、やっていけるかが見えてくると思うんです。3年経てば一通り結果も見えてくるかなと。個人的なところでいうと、子供を持つこと考えたときにも、30代後半に差しかかるところで区切りをつけられるように設定しました。

 

辻:私たちも、留学を終えてから「3年」を区切りに動いていたので共通しています。

 

竹崎:辻さんたちが「3年」をキーワードにした背景も気になります。

 

辻:アメリカ留学を終えてから、私は日本で、妻はインドネシアでの勤務に戻ることになりました。お互い遠距離での生活に耐えられるのは3年くらいだろうと考えて、どこに住むかはわからないけど、3年以内に一緒に住もう、とだけ2人で約束したんです。今振り返ると、ある程度長い期間で時間を区切るのは良かったなと思います。3年あれば、半年や1年では難しい選択肢の実現可能性も高まるので。

 

3年はあくまで目安ですが、期限を設けるのは重要だと思います。期限がないと、いつ決断したら良いかわからなくなりますし、終わりが見えない遠距離生活は辛いものがありますからね。一緒に次のステージを想像できる状態にする配慮ができれば良いと思います。

 

倉石彩乃氏:ご家族と
倉石彩乃氏:ご家族と

場所を絞り込む

  

竹崎:瀬尾さんのケースでは、3年後にどちらのキャリアも順調であれば、互いに合流地点としてボストンかサンフランシスコを目指すとのことでしたが、どういうプロセスでその2つの場所に絞り込んでいったのでしょうか?

 

瀬尾:これは業界や職種によって事情が異なるのと思いますが、私は製薬・バイオテック業界にいるので、アメリカでその分野が盛んなのは、東海岸のニューヨーク・ニュージャージー、ボストン・ケンブリッジ、もしくは西海岸のサンフランシスコ、サンディエゴの辺りなんです。

 

一方、夫は大学の研究者なので、研究環境が整っている大学があるところが良い。ただ、大学の仕事は先が見えないという面もあるので、将来的な産業界へのキャリアチェンジのオプションも考慮しました。そうなると、バイオ系のベンチャーが多いボストンとサンフランシスコが良いかなと。

 

つまり、アカデミア、バイオテック、製薬会社が集積していてお互いのキャリアの成長を継続して見込める場所という条件で絞っていきました。第一希望はサンフランシスコでしたが、それは住むなら暖かい地域の方が良いという単純な理由です(笑)。

 

竹崎:瀬尾さんは現在サンフランシスコにお住まいなので、本当にふたりともサンフランシスコで仕事を見つけたというのがすごいですね。

 

瀬尾:私としてはカマをかけていたところもあったんですが、夫が本当にサンフランシスコでポジションを見つけてきたときにはびっくりしました(笑)。ちょうどそのとき、私は周りとの信頼関係を構築できてきたという手ごたえや、大きな仕事を任されるチャンスが巡ってきそうなところで、正直もう少しニュージャージーで働きたい気持ちもあったのですが、パートナーとの約束を守りました。

 

 

自然体で流れに乗っかる

 

竹崎:倉石さんの場合、結婚や出産を機に渡米されました。そういう意味で、場所や時期を主体的に選択したというよりは、パートナーに合わせる形で倉石さんの生活が変わったと思うのですが、渡米後はどのように過ごされていたのでしょうか。

 

倉石: たしかに日本での仕事が楽しかったので、結婚しなければ、海外で暮らすことはなかったと思います。アメリカへ移住してしばらくは育児中心の生活を送っていましたが、まずは土曜日のみ開校するシアトル日本語補習校での教師を始めました。

 

それから、フラワーアレンジメントの資格を持っていたので自宅で教室を開き、下の子どもが保育園に入ってからは、留学生向けの就職カウンセリングをパートタイムで始めるなど、自分にできることから少しずつ拡げていった感じです。今はアマゾンでフルタイムで働いていますが、補習校の仕事も続けています。

 

竹崎:仕事にご家庭に、パワフルですね。日本では仕事にやりがいを感じながら働いていたということですが、新しい土地でやっていくことに不安はなかったのでしょうか。

 

倉石:主人は子供の頃から宇宙飛行士になるのが夢で、航空学科を専攻し、今はボーイング社で働いています。一方、私は前職では人材開発、研修関連の仕事をしていました。研究対象や専門分野が明確にあるわけではなく、人と接することや相手の成長をサポートすることに重きをおいているんです。

 

そういう意味では、主人に比べると私の方が場所や仕事に柔軟性があります。彼のやりたい夢がシアトルにあって、それを実現したいというのであれば、私はそこに行って新しい何かを見つけようというスタンスでした。

 

竹崎:本当にシアトルでキャリアを一から構築されていてすごいです。ちなみに、渡米された時点で具体的なキャリアプランはあったのでしょうか。5年、10年というスパンで計画されていたのか、もしくは、シアトルに行ってからチャンスを見つけようというマインドだったのかが気になります。

 

倉石:5年、10年というよりは、子供が保育園に入るタイミングや小学校に入るタイミング、ミドルスクールに入るタイミングなど、子供の成長に合わせてキャリアを考えてきました。

 

アメリカでは、アメリカでの職歴がないと雇ってもらうことが非常に難しいんです。そのため、子どもの成長に合わせて仕事を再開し、レジュメにかける職歴を少しずつ増やしていきました。同時に、アメリカの人材派遣会社に登録し、チャンスがきたときにはいつでもそれを掴めるよう、スキルを身につけ、ネットワーキングをしながら動くことを意識していました。

 

瀬尾:アメリカでの職歴がつくと、書類の通りがよくなるというのはわかります。私自身も、最初にアメリカで就職活動をした時と前職で数年働いた後に転職活動した時とでは書類の通りやすさが全然違ったので。

 

倉石:他にも、フラワービジネスでは作品のネット販売もしていました。それ自体がキャリアの強みになったかは分かりませんが、間隔を空けずに仕事をしていますよ、ということを示したかったんですね。私自身、採用の仕事をしていたこともあり、ブランクが大きいとレジュメのイメージが良くないことは分かっていたので。週1の補習校での仕事をずっと続けていたのもそのためです。

 

ただ、キャリアの損得というよりは、単純に専業主婦が自分の性に合ってないというのもあります(笑)。忙しくしている方が好きで、とにかく何かやっていたいんです。

 

竹崎:倉石さんは好奇心旺盛な方なので、よく分かります(笑)。

 

 

*後編へ続きます|4月2日公開予定

 

 

倉石彩乃◎旦那様の勤務地である米国シアトルにて、日本語補習校教師、人材派遣会社での勤務を経て、Amazon本社勤務(Quality Auditor)。早稲田大学卒業(心理学専攻)

 

辻景太郎◎環境省職員。奥様がインドネシア政府職員であることから、職場との調整を経てインドネシア赴任を実現、現在赴任4年目。UCLA修了(公共政策)

 

瀬尾亜由◎製薬業界に従事。米国滞在9年目。ファイザー日本法人、第一三共(アメリカ・ニュージャージー州)を経て、研究者である旦那様のカリフォルニア州での就業に伴い、Astex Pharmaceuticalsへ転職し、カリフォルニア州へ転居。ジョンズホプキンス大学修了(経営学・公共衛生学)

文=伊藤みさき 構成=竹崎孝二
竹崎孝二

竹崎孝二

米Amazon本社 シニアベンダーマネージャー(事業部長)
日本人の可能性を世界へ広げることを志向して、総務省(地方自治)、Panasonic North America等を経て、2020年2月よりシアトルの米Amazon本社にてシニアベンダーマネージャー(事業部長)。米Amazon本社での年間MVP受賞をはじめ、社内表彰多数。TOEFL iBT 34点(TOEIC 330点相当)からスタートの非ネイティブ。2006年東京大学経済学部卒、2014年University of California San Diego MBA修了。元ロータリー国際親善奨学生、Seattle 4 Rotary Club所属
※サイト内での全てのコラムはあくまで個人的見解であり、所属組織とは無関係です。

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