優しい嘘か真実か。価値観の狭間で揺れる家族が祖母のために選んだ「正解」とは|Forbes JAPAN

監督が自身の体験を元にして撮った『フェアウェル』(ルル・ワン監督、2019)。祖母へのガン告知を巡って悩む中国人女性を中心に、文化や価値観のずれの中で生きる人々をコメディタッチで描いた名作をご紹介。
この記事は2021年7月10日にForbes JAPAN Webサイトに掲載された記事を一部編集したものです。Marisol ONLINEとForbes JAPANはメディアパートナーとして相互提携を行っています。
祖母に伝えるのは真実か、優しい嘘か─(c)2019 BIG BEACH, LLC. ALL RIGHTS RESERVED.
祖母に伝えるのは真実か、優しい嘘か─(c)2019 BIG BEACH, LLC. ALL RIGHTS RESERVED.

毎日のようにテレビやネットで世界中の情報が流れ、それら情報のさまざまな言語や文化や価値観が混じり合っている中に身を浸していると、もともと「自分のいた場所」がどこなのか、ふとわからなくなることがある。
 
私たちはそれぞれが個別のルーツを持っているが、その上に新たに身につけた文化や価値観を上書きして生きている。スピードの早い現代生活の中で、元のルーツを思い出す機会は少ない。
 
ある文化圏からまったく別の文化圏に移動した時、あるいは何らかのきっかけで「自分のいた場所」をたどり始めた時に、そのことに気づくのだろう。その時、内なる文化や価値観が衝突を起こすこともあるかもしれない。
 
監督が自身の体験を元にして撮った『フェアウェル』(ルル・ワン監督、2019)は、祖母へのガン告知を巡って悩む中国人女性を中心に、文化や価値観のずれの中で生きる人々を描いたコメディ。第77回ゴールデングローブ賞女優賞をはじめ、数々の映画祭で作品賞や女優賞を獲得した佳作である。

 

親しい仲の「小さな嘘」

 
ビリー(オークワフィナ)はニューヨークに住む中国系アメリカ人。6歳の時、父母と共にアメリカに渡って25年。作家としての自立を目指しているが、グッゲンハイム・フェローの選考に外れ落ち込んでいる。

 

彼女がよく電話で話しているのは、故郷の長春に住む大好きな祖母ナイナイ(ナイナイとは「おばあちゃん」の意味)。ドラマは、検査に来た病院からそれを隠して孫娘に電話するナイナイと、フェロー不合格を伏せているビリーという、親しい仲の小さな嘘から始まる。
 
そもそもタイトルロールに出てくる文言が、「実際にあったウソに基づく」。いったいどんな嘘を、誰が誰につくのだろうか。
 
父ハイセンと母ルーの様子がおかしいのに気づいたビリーは、ナイナイが余命3カ月のガンで、しかも本人は医師からそれを知らされていないと聞き、ショックを受ける。

(c)2019 BIG BEACH, LLC. ALL RIGHTS RESERVED.
(c)2019 BIG BEACH, LLC. ALL RIGHTS RESERVED.

ついては、従兄弟で日本在住のハオハオが日本人女性との結婚式を長春で挙げるという機会に乗じて、親族がナイナイの元に集まることに。人一倍おばあちゃん子のビリーの「正直さ」を恐れた父母だが、ビリーはじっとしていられず両親を追って後から長春へ。
 
久しぶりのビリーとの再会やハオハオの結婚に、喜びで一杯のナイナイ。一方、ナイナイの世話をしているリトル・ナイナイ(彼女の妹)はもちろん、伯父夫妻はじめ全員がナイナイの病気を知っていて、それを本人にだけは隠しているという、かなり微妙な状況だ。
 
次第にわかってくるのは、ハオハオの結婚式は親族が集まる理由をナイナイに納得させるためのでっち上げで、日本人婚約者として紹介されるアイコもその役をやっているだけということ。

(c)2019 BIG BEACH, LLC. ALL RIGHTS RESERVED.
(c)2019 BIG BEACH, LLC. ALL RIGHTS RESERVED.

重苦しい気分でナイナイのために集まった親族たちの、嘘をさとられまいとする演技がおかしい。娘の正直さを心配したわりに、自分はすぐ顔に出てしまう父ハイヤン、出会って3カ月で結婚を決めたことになっているハオハオとアイコのぎこちなさ。
 
一方、孫の結婚式準備に1人大張り切りで、息子たちの元気のなさを逆に心配するナイナイの無邪気さ。それぞれの思いが、ユーモアと温かみをもって描かれていく。

 

そんな中、早朝から戸外で大きな声を発しながら太極拳をしているナイナイに、ビリーが動きや発声を教わる場面で生まれる笑いだけは、嘘偽りがない。この中国古来の身体性が全面に出たシーンは、重要な伏線だ。

(c)2019 BIG BEACH, LLC. ALL RIGHTS RESERVED.
(c)2019 BIG BEACH, LLC. ALL RIGHTS RESERVED.

ビリーの将来を心配するナイナイと、自立を目指す自分の生き方を素直に話すビリーの関係は、他の誰よりも深いものに見える。その分、本当のことを教えなくてもいいのだろうかというビリーの悩みも深まっていく。
 

どの選択が正解なのか

 
10人余りの親族が一堂に会しているだけに、大人数で囲む食卓のシーンも多い。彩り豊かな料理がとても美味しそうだ。だがそこで交わされる会話は、なかなか苦い。

(c)2019 BIG BEACH, LLC. ALL RIGHTS RESERVED.
(c)2019 BIG BEACH, LLC. ALL RIGHTS RESERVED.

アメリカへ移住したビリーの両親に対し、「お金が大事、子供も投資」という価値観を隠さない叔母と、アメリカはそうとは限らないと美談を披露する母ルー、そして、でもいいところばかりじゃないとツッコミを入れるビリー。「戻ってこないリスクを承知で息子をアメリカ留学させるの?」というルーの問いに、問われた叔母も皆も押し黙る。
 
中国に残りそこそこ豊かになった親族たちと、アメリカに活路を求めたが成功しているわけではないビリーの家族。ここにあるのは、選択肢が増えた現代ならでは悩みだ。だが正解は誰も持っていない。
 
何が正解なのかというビリーの悩みは、ナイナイへのガン告知の是非を巡って、後半再度浮上してくる。
 
若い主治医に対し英語で問われる「ウソをつくの?」というビリーの質問と、「いいウソです」という答え。ロンドンで学び西洋の価値観を身につけているはずの彼でさえ、「この段階になると中国では告知しません」と明言する。
 
こうした中で、決して中国の習慣すべてに馴染んでいるわけではない母ルーの、「泣くこと」を期待される葬儀の思い出話も興味深い。中国人で西洋的価値観との狭間にいるのは、ビリーだけではないのだ。

(c)2019 BIG BEACH, LLC. ALL RIGHTS RESERVED.
(c)2019 BIG BEACH, LLC. ALL RIGHTS RESERVED.

ガン告知に関しては、伯父からビリーに理解を求めて放たれる言葉が示唆に富む。──「西洋では個人の命はその人のもの。東洋では個人の命は全体の一部。母親の重荷を背負うのが息子の義務だ」。
 
この後、故郷も親族も知らぬうちに失われる心細さを、ビリーは母親に涙ながらに吐露する。緊張の中で自分を抑えてきた彼女の、この感情を爆発させるシーンに、アメリカ的価値観を身につけつつも、アイデンティティのありかを祖国に求めながら生きる移民の姿が二重写しになっている。
 
賑やかに行われる結婚披露宴は、壮大な嘘の総仕上げだ。表向きはハオハオの結婚を祝いつつ、内実はナイナイへのそれぞれの思いが溢れ溶け合っていく一連の場面は、最後まで嘘を完徹することにしたビリーの行動へと繋がる。
 
一仕事終え、ビリーが親族たちを従えて公道を歩くのを正面からスローモーションで捉えたシーンは、「ミッションを終了した一味の大行進」風でもあり、また彼女が祖国の伝統的な価値観を体で理解したことを示すものだろう。
 
帰ってきたニューヨークの街角に、ビリーはナイナイに教わった東洋の身体で立つ。エンドロールが始まってから挿入される「意外」な1シーンも、ピリリと風刺が効いていて爽やかな後味だ。

 

文=大野 左紀子
大野 左紀子

大野 左紀子

文筆家
1959年、名古屋市生まれ。1982年、東京藝術大学美術学部彫刻科卒業。83年から2002年まで、現代美術の分野で発表活動を行う。2003年アーティストを廃業し、文筆活動に入る。主な著書は『アーティスト症候群 -アートと職人、クリエイターと芸能人-』(明治書院、2008)、『「女」が邪魔をする』(光文社、2009)、『アート・ヒステリー -なんでもかんでもアートな国・ニッポン-』(河出書房新社、2012)、映画エッセイ集『あなたたちはあちら、わたしはこちら』(大洋図書/2015)など。

What's New

Read More

Feature

Ranking