注目の『イン・ザ・ハイツ』が踏襲するあの物語と、NYのラテンカルチャー|Forbes JAPAN

世界のエンタメの中心地、ニューヨーク。ヒップホップやサルサが生まれたのも、この土地の歴史的背景があったからこそだ。筆者選曲のプレイリストと共に、いまや世界標準となったヒスパニック・カリビアンの音楽文化に注目したい──。
この記事は2021年7月23日にForbes JAPAN Webサイトに掲載された記事を一部編集したものです。Marisol ONLINEとForbes JAPANはメディアパートナーとして相互提携を行っています。
毎年マンハッタンで行われるNational Puerto Rican Dayパレードの様子(Shutterstock)
毎年マンハッタンで行われるNational Puerto Rican Dayパレードの様子(Shutterstock)

あのウッドストック・フェスティバルと同じ1969年の夏、ニューヨークで30万人もの観客を集めたもうひとつの大規模フェスがあった。その名は「ハーレム・カルチュラル・フェスティバル」。この一大イベントを記録したフィルムを、ヒップホップ・バンド、ザ・ルーツのクエストラヴが再構成したドキュメンタリー映画『サマー・オブ・ソウル(あるいは、革命がテレビ放映されなかった時)』が8月27日に公開される。
 
アフリカ系が多く住むハーレム地区で開催されただけあって、登場するのは若き日のスティーヴィー・ワンダーやB.B.キング、ゴスペルの女王マヘリア・ジャクソン、当時人気絶頂のスライ&ザ・ファミリー・ストーンといったブラック・ミュージックのスターたち。しかしそうしたメンツに混じって、モンゴ・サンタマリアやレイ・バレットといったラテン系ミュージシャンもステージに上がっている。
 
この事実についてインタビューで熱く語っているのが、『メリー・ポピンズ リターンズ』などに出演するプエルトリコ系の俳優リン=マニュエル・ミランダである。彼は「自分たちラテン系も大きな意味では仲間だ」と発言する。これは単なる比喩ではない。ハーレムのすぐ隣に位置するワシントン・ハイツ地区は、ドミニカやプエルトリコといったヒスパニック・カリビアン(スペイン語を話すカリブ諸国)からの移民およびその二世が大多数を占めるエリアなのだ。
 
チェーン店の代わりに家族経営の商店が並び、通りからはスペイン語しか聞こえてこないこの街で生まれ育ったミランダは、地元を舞台にしたミュージカル『イン・ザ・ハイツ』の製作に大学在籍時から着手。同作はブロードウェイで上演され、タイムズスクエアから地下鉄でわずか15分の場所に異世界が存在することを、ヨーロッパ系白人が大多数を占める観客たちに知らしめたのだった。その『イン・ザ・ハイツ』がミュージカル映画として7月30日に劇場公開された。

 

「ウエスト・サイド」のその後を描いた物語

 
同作の主人公は、小さな食料雑貨店を営む青年ウスナビ。彼はジェントリフィケーション(都市の富裕化)によってコミュニティが崩壊しつつあるハイツから抜け出し、故国のドミニカに帰り、海辺でのんびり暮らす生活を夢見ている。そんなウスナビが想いを寄せているネイルサロンの店員ヴァネッサもまた街を出ようとしている。しかし彼女の場合はウスナビとはベクトルが逆で、マンハッタンのダウンタウンでファッションデザイナーになる夢を叶えるためだ。

一方、もうひとりのメインキャラクターであるニーナは、日々の暮らしが精一杯のハイツから名門スタンフォード大学への進学を果たしたエリートだ。つまり彼女はすでに外の世界に飛び出しているのだ。しかし父親の収入では学費が足りず、学業継続が困難になっている。
 
故国に帰りたがっている男と、アメリカで生きぬこうとする女という図式はおそらく、ニューヨークに住むプエルトリコ系移民が、初めてメジャーなエンタメ作で描かれたミュージカル『ウエスト・サイド物語』(1957年初演、1961年映画化、2021年再映画化)を踏襲している。

 

「ウエスト・サイド」とはセントラルパークの西側を意味しており、ワシントン・ハイツもこの中に含まれる。つまり『イン・ザ・ハイツ』とは『ウエスト・サイド物語』の街の「その後」を描いた物語なのだ。だから本作は音楽面でも『ウエスト・サイド物語』の音楽性を継承しながら、「その後」に起こった音楽面の変化も反映されている。
 
『ウエスト・サイド物語』でプエルトリコ系のティーンたちが愛聴していた音楽は、マンボだった。その発祥の地は同じカリブ海の島国キューバである。アメリカで禁酒法が施行された1920年代、フロリダから至近という地の利が手伝って、キューバは歓楽街として栄え、ナイトクラブでダンスミュージックが発展。1930年代にはルンバが、1940年代にはマンボが生まれ、ニューヨークのナイトクラブでも演奏されるようになった。
 
ミュージシャンの中核を担ったのは勿論キューバ人だったが、スペイン語圏でありながらアメリカの自治領だったためにニューヨークに数多く住んでいた、プエルトリコ系移民も仲間に加わっていた。
 
ところが1959年に事件が勃発する。キューバで社会主義革命が起こり、アメリカと国交が断絶してしまったのだ。キューバ人の多くは故国に帰ってしまい、取り残されたプエルトリコ系ミュージシャンは、自身のアイデンティティを確立しなければならなくなったのだ。
 
プエルトリコ系がまず行ったのは、隣町のハーレムで流行していたブルースやドゥーワップと、ラテンリズムを融合させる試みだった。こうして誕生したのがブーガルーと呼ばれるダンスミュージックで、1960年代にヒスパニックカリビアンのコミュニティ内で大流行した。

 

しかしアフリカ系の間でブラックパンサー党が結成され、自身のルーツを追い求める姿勢が強まっていくと、プエルトリコ系のなかでもヒスパニックカリビアンとしてのアイデンティティを追求する意識が強まっていく。「ハーレム・カルチュラル・フェスティバル」が開催された1969年はこうした端境期にあたり、ブーガルーを演奏しているモンゴ・サンタマリアに対し、レイ・バレットがもっとキューバ寄りの音楽をプレイしているのが興味深い。

キューバ ハバナ市内でサルサを踊る男女(Shutterstock)
キューバ ハバナ市内でサルサを踊る男女(Shutterstock)

こうしたルーツ探究の動きのなかで中心的な役割を担ったのが、ニューヨークで設立されたファニアレコードだった。ファニアの所属アーティストは、キューバ音楽をベースにカリブ海諸国のさまざまな音楽を採り入れて、汎ヒスパニックカリビアン音楽である「サルサ」を創り出したのだ。
 
サルサはコミュニティの中で爆発的な支持を受け、ファニアレコード所属ミュージシャンの選抜部隊ファニア・オール・スターズは、1973年8月にニューヨーク・ヤンキースの本拠地ヤンキースタジアムでの公演がソールドアウトするほどになった。また中南米各国で精力的にツアーを行ったことで、世界中のスペイン語圏での支持を獲得した。こうした動きにドミニカ産のダンスミュージック、メレンゲも続いた。

 

これほどの人気を誇りながら、当時サルサに注目したロック・アーティストはデヴィッド・バーンやジョー・ジャクソンぐらいだった。ロックに影響を与えたヒスパニック・カリビアン音楽は、全く違った形でシーンに登場することになる。
 
その音楽が生まれた場所は、前述のヤンキースタジアムがあるブロンクス区。マンハッタンの北に位置するこの区は、当初ユダヤ系が多く住んでいたが、彼らはより良い生活環境を求めて徐々に転出し、代わりにジャマイカやバルバドス、トリニダードといった英語圏のカリブ諸国からの移民と、ヒスパニック・カリビアンが住むようになった。
 

ヒップホップのルーツ

 
ファニアオールスターズのヤンキースタジアム公演が行われた1973年8月、サウスブロンクスの公団住宅の娯楽室で密かに革命が起きる。ジャマイカからの移民クール・ハークが、ジャマイカ由来のサウンドシステムでファンクをかけるパーティを開いたのだ。
 
これ以降ハークのパーティは定期的に開催されるようになったが、彼はダンサーたちが特定の曲のドラムだけになるパート(「ブレイク」と呼ばれる)に反応することに着目。2台のターンテーブルを駆使して、ブレイクの部分だけを延々流すようになった。これがブレイクビーツの誕生となり、マイクを握るMCを交えたパーティスタイルは「ヒップホップ」として確立していく。
 
一方、ダンサーたちはブレイクダンサーと呼ばれるようになったが、その最大勢力はアフリカ系ではなくプエルトリコ系だった。つまりヒップホップとは、ヒスパニックカリビアンのビート感覚で濾過されたファンクだったのである。
 
このため黎明期に活躍したプリンス・ウィッパー・ウィップをはじめ、ファット・ジョーやビッグ・パニッシャーなど、ヒスパニックカリビアンのラッパーは数多い。現在最も人気があるフィメール・ラッパーのカーディ・Bもドミニカ系である。しかも彼女はワシントン・ハイツ育ちだ。
 
だから『イン・ザ・ハイツ』の挿入曲には、サルサやメレンゲはもちろん、ヒップホップが大々的に取り入れられている。ちなみに多くの曲で聴けるパーカッシヴなビートは、レゲエを取り入れたプエルトリコ産のダンス・ミュージック「レゲトン」を応用したもの。このジャンルの代表的なアーティスト、バッドバニーは、2020年に世界中のSpotifyで最も聴かれた アーティストに輝いている。

ヒスパニック・カリビアンの音楽文化はいまや世界標準になっているのだ。『イン・ザ・ハイツ』を観たなら、こうした現実の一端をきっと掴めるはずだ。

文=長谷川町蔵
長谷川町蔵

長谷川町蔵

文筆家。「映画秘宝」「CDジャーナル」「EYESCREAM」「ROLLING STONE JAPAN」に連載中。著書に「インナー・シティ・ブルース」「サ・ン・ト・ランド」「あたしたちの未来はきっと」「文化系のためのヒップホップ入門1〜3」(大和田俊之氏との共著)「ヤング・アダルトU.S.A.」(山崎まどか氏との共著)など。

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