パリで魚屋も開く。銀座小十店主の「日本料理を世界食にする」挑戦|Forbes JAPAN

2008年の「ミシュランガイド東京」第一回で三ツ星を獲得した銀座「小十」。店主の奥田氏は、それから10年をかけて日本料理を世界食へと広めていった。
この記事は2021年8月14日にForbes JAPAN Webサイトに掲載された記事を一部編集したものです。Marisol ONLINEとForbes JAPANはメディアパートナーとして相互提携を行っています。
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もうすっかり定着した「ミシュランガイド東京」だが、2008年、初めて発売されたその秋は、喧々諤々、日本の食業界をゆるがす一大事であった。
 
栄えある第一回の三ツ星店に選ばれたのが「かんだ」、「カンテサンス」、「小十」、「ジョエル・ロブション」、「すきやばし次郎」、「鮨 水谷」、「濱田家」、「ロオジエ」(五十音順)の8軒だったと聞けば、懐かしく思い出す向きも多いだろう。
 

 

欧米で成功しなければ

 
その時点で、「小十」店主の奥田 透氏は、若干37歳だった。地元静岡の割烹旅館での仕事を皮きりに、京都の老舗料亭で修業したのち、徳島「青柳」の小山裕久氏のもとで一から料理を学んだ。「青柳そごう店」の支配人兼料理長を任されたのち、29歳で静岡市で独立。33歳で銀座8丁目に、陶芸家の西岡小十の名にあやかった「銀座小十」という小さな店を構えた。
 
その4年後、突然にミシュラン事務局から、三ツ星を授与したいという電話がかかってきたという。
 
華やかな授賞式に出席しても、嬉しさや誇らしさよりも、「なぜ自分が三ツ星に?」という驚きのほうが強く、「これは、何かせよ、行動しろ、という神からの啓示ではないだろうかと思った」という。考えに考えて出した結論はこうだった。

 

「フランス料理も中国料理もイタリア料理も、世界中どこでも食べられる、いわば“世界食”です。日本人シェフが東京で作るフレンチがれっきとしたフランス料理であり、カリフォルニアでアメリカ人が作るイタリアンもまた、イタリア料理であるように。ところが、日本料理だけは今だに、素材が何より大切だから日本でなければ作れない、もしくは文化的背景や繊細な感性が必要だから、日本人でなければ作れないと、頑なに思われています。
 
現に、パリにフランス人が作る懐石料理の店もないし、ニューヨークで、外国人が握る寿司を、日本人は認めていません。これは何かがおかしい。日本料理は、本来、世界料理になれるグローバリティのある料理のはずなのに……。いや、それは、誰もちゃんとしたものを見せてこなかったからにちがいない。ならば、自分がそれをやってやろうじゃないか、それこそが自分に課せられた使命ではないかと思いました」

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37歳の血気盛んな青年の心にともった炎は、日に日に大きくなっていった。
 
三ツ星を取得したあと、アジアを中心に海外に店を出さないかと誘われもしたが、「アジアじゃダメだ。欧米で成功しなければ、日本人は認めないから」と考えていた。
 
「場所は、日本文化にリスペクトがあり、我々もその食文化をリスペクトしている、フランス・パリが本丸だろうと、すぐに決まりました。パリの魚では日本料理はやりにくいぞ、と、皆に言われましたが、障害が大きければ大きいほど燃えるたちなんですね」
 
幸い、縁あって出会った「銀座奥田」のオーナーもチャレンジ精神旺盛で、パリ店の経営は全面に引き受けてくれた。

 

2012年、パリ8区の閑静な地に物件をみつけ、日本から資材をすべてを運び、職人数人がかりで数寄屋の店内をくみ上げ、什器もすべて日本から運んだ。
 
スタッフは、パリ店で働きたい人間を募り、整えた。足かけ2年、2013年の秋「OKUDAパリ」はオープンにこぎつけた。以来、奥田氏は、毎月4日間パリに滞在し、東京に戻るという、2拠点生活を続けた。

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さて、素材である。「私の考える“世界食”の定義は、その土地にある素材で作れる料理でなければならないということです。フレンチのフォアグラや、イタリアンのパルミジャーノ・レッジャーノなどの例外はありますが、基本はその土地の素材を使用して作れなければ、世界食とはいえません」。奥田氏の決意は固かった。
 
ところが、ランジス(パリ)の市場に初めて連れて行かれたときの衝撃は想像を超えるものだったという。日本の基準で考えれば、2割の魚がどうにかこうにか使えるか、というレベル。さすがにこれでやっていくのは難しいと思わざるをえなかった。
 
同じ頃、当時、三ツ星に近いと言われた、ノワールム-ティエ(フランスの西岸、石巻や気仙沼のような地域)にある「ラ・マリーン」のアレクサンドル・クリヨンシェフが、魚のことをムッシュ奥田に教わりたいと、はるばる訪ねてきてくれた。それで思わず聞いた。
 
「目の前が海のあなたの店なら、生きた魚は手に入るのですか?」と。答えは「Oui!」。それなら、ノワールムーティエまで行くから、生きた魚を漁師さんにとりおいてもらってほしいと、と懇願した。
 
早速6時間かけて、ノワールムーティエを訪れた。ところが、残念ながら、海がしけて魚は捕れず。代わりに、築地で撮影した魚の締め方のビデオなどを見せて、「日本では生きている魚が一番の価値で、そこから締めることによって料理が始まる。生きたまま締めて血を抜くと、鮮度が保たれ、美味しくなるんだよ」と丁寧に説明をした。
 
2回目には、念願の生きたスズキが手に入り、活締めにしたのち、お造りにして塩をふって食べさせた。アレクサンドルシェフが喜んだのはもちろん、漁師も、「これならワインがなくても食べられるんだな」と驚いてくれた。
 

 

自ら“魚屋”も開く

 
よし、ここから魚を運ぼうと意気込んだが、フランスには活魚車がない。活魚車とは中が水槽になっていて、酸素が供給される仕様になった、日本ではどこの漁港から魚を運ぶにも使用しいている車だ。次々と現れる障害にひるむどころか、奥田氏の心はますます燃え盛る。日本の活魚車では車検を通らないから、水槽や酸素ポンプだけを日本から運び、フランスのトラックを改造して、なんとか、車検を通るものを造り上げた。
 
ところが、今度は乗り手がいない。ドライバーが皆、こんな車を運転して捕まったら困ると尻込みを始める。いやいや車検は通ってるんだからとなだめすかして、なんとかノワールムーティエから魚を運んでもらった。

 

フランスでは、料理屋は、魚屋から魚を買わなければいけないと決まっているうえに、活魚を扱い、活締めしてくれる魚屋がないから、「OKUDAパリ」でノワールムーティエからの生きた魚を使うためには、魚屋を開くしかなかった。
 
ところが、パリは江戸時代の日本のように、町内に米屋が1軒、酒屋は1軒、魚屋1軒……と決まっていて、新しく魚屋を開くことはできない。魚屋を新設するには、魚屋を買い取って、魚屋を始めるしかないのである。そこで、権利をゆずってくれる店を探して回り、権利を買い取り、実現に漕ぎ着けた。
 
日本からのいろいろな人たちの協力のおかげで、水槽を運び、水の循環器やろ過装置も完備することができ、申し分ない施設ができた。だが、今度は、店名でもめる。レストランン「OKUDA」が魚屋「OKUDA」から買うとなると、法律に触れかねない。今日、申請しないと、次の機会が3か月後になってしまうというギリギリの中、オーナーが「ポワソネリ シンイチ」と自分の名前をつけて申請を通してくれた。

魚屋「ポワソネリ・シンイチ」
魚屋「ポワソネリ・シンイチ」

これで、ようやく魚屋の枠組みが整った。あとは、誰が店に立つのか。幸い、銀座店に、フランスで働いたことのある平野さんがいて、出刃包丁など一度も持ったことはないが、教えればなんとかなるだろうとフランスに呼びよせ、スタートを切った。2011年の秋のことだった。
 
ところが、半年もしないうちに、船が故障したとかで、ノワールムーティエから魚が入らなくなる。嘆く平野さんに「何があるかわからないよ、来月、僕が来る頃には、『大将、生きた魚が入りました!』って、喜んでるかもしれないよ」と奥田氏は慰めた。

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カリフォルニアのワイナリーには、頻繁に足を運び、生産者から様々な取り組みや話を聞く機会があるが、この2つのワイナリーの例でみられるように、いまや、ワイン生産者が、サステナブルなワイン造りを念頭に置くことは、必要不可欠であることを感じる。
 
環境問題は、様々な要因が複雑に絡み合い、消費者の目からわかりにくい面もある。いち消費者としても、表面的な謳い文句や個別の要因に惑わされずに、それが真にサステナブルなものかを判断する目を持ち、そうした取組みをしている生産者をサポートしたい。

 

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すると、本当に奇跡がおこったのである。翌月店に行ってみいると「パトリックという人が、生きている魚をなんとかしてほしいと言ってきたんです」と平野さん。話を聞けば、パトリックとは、食材で町おこしを考えていた富豪に声をかけられた魚のスペシャリストで、ブルターニュ・キベロンの漁師達と親交が深いそうだ。しかい町おこしの話が頓挫してしまい、どうにか活魚を収めたいと、「アラン・デュカス・オ・プラザ・アテネ」のシェフ、ロマン・メデールに相談にきたのだという。
 
するとロマンは、「うちのすぐ裏にある、ムッシュ・オクダの店を訪ねるといい」とアドバイスしてくれたのだという。実は、デュカス氏は来日時に何度も小十を訪れており、奥田氏とは親交も深く、パリでロマン・メデールを紹介され、活締めについても何度か講習会を開いていた仲だったのである。
 
その後、パトリックを通じて、キベロンの活魚を仕入れるようになったことは言うまでもない。
 

 

活締めがパリのスタンダードに

 
その頃から、毎週、シェフや漁業関係者相手の講習会が開かれるようになった。それが、ちょうどSNSの時代へと入っていくタイミングと重なった。活締めという言葉や意味が瞬く間に知れ渡り、今まで相手にしてくれなかった大手水産業者もわざわざパリにきて、「ムッシュ・オクダ、一緒にやらないか」と言ってきたり、漁港で獲れる魚に付加価値をつけたいから活締めを教えてくれないかという人が急速に増えていった。
 
そうしたときの奥田氏の答えは決まってこうだった。
 
「ちょっと待ってくれ、活締めを僕一人のものにする気はまったくないんだよ。日本では毎日当たり前に行っていることなのに、これまで誰も伝えてこなかっただけなんだ。やり方は簡単だけれど、なぜ行うのか、行うと魚はどうなるのか、その後、どう扱うのか。そこまで理解しないと意味がない。そこまでをきちんと教え、皆に魚の処理として、普通にやってもらいたいんです」

 

その後、平野さんは結婚して退職し、もう一人いたスタッフも3年のビザが終了して帰国。OKUDAのスタッフが空き時間に店に立ったが、とてもそんなやり方でできるほど魚屋や甘くない。
 
そんな折、パトリックが魚屋を開いて独立したいというので、「なんでも相談に乗るから、がんばれよ」と背中を押し、ポワソネリ・シンイチは役目を終え、パトリックが新たな魚屋を開いた。
 
気付けば10年のときが流れていた。もはや、パリでは、高級魚は活締めがスタンダードだ。ゼロが大きなイチになったのだ。コロナ禍もあり、現在OKUDAパリは店を閉めているが、状況をみて、再開する予定だという。日本料理を世界食へという奥田氏の壮大な天命は、確実な足跡を残したと言えよう。
 

 

子供たちに「和食」との接点を

 
37歳の青年だった奥田氏も、壮年と呼べる50歳を迎え、料理人として、総仕上げの時期に入っている。
 
これからの10年、20年へ向けての野望や夢を尋ねると、「今はありません。あるとすれば、何かに導かれるのかなと、思うのです。そのときにはこれまでの経験の中から培ったことを存分に生かしていきたいな、と。例えば、料理にとどまらず、器や数寄屋造りなど、広く伝統工芸の存続であるとか……」。熱い心を持ち続ける奥田氏であるから、また、大きな天命がふってくるに違いない。

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実は、10年ほど前から、何人かの日本料理の料理人と「和食給食応援団」を立ち上げ、小学校の給食を通じて、和食の骨格を教え、豊かな食文化や季節の移ろいを大切にする心などを伝える活動を続けている。
 
「日本人でありながら、ハンバーグ、カレー、ラーメン、回転ずしなどが日常食であり、本来の和食がまるで異国の料理かのように、遠い存在になっている今の子供たちのために、なんとか、給食で、和食を知ってもらおう、好きになってもらおうというための応援団です。
 
本来は家庭で学ぶべき、箸の持ち方からだしの味まで、給食で知るというのは悲しい現実ですが、家庭での教育を待っていたら手遅れになります。格差社会が進むなか、給食の果たす役割は年々大きくなっています。そこで、栄養士さんたちが作りやすいようなレシピに落とし込むのが、我々の役目です。時には、小学校へ出向いて実演や講演をすることもあります。長く続けることで初めて成果のでる取り組みですから、ライフワークとして続けていきたいと思っています」
 
世界に本物の和食を広げることに命をかけてきたと同時に、足元である、日本の子供たちに、本来の和食に触れさせる。この両輪を回し続けることで初めて、遠い先の未来にまで、和食を文化遺産として残すことができるのであろう。

文=小松宏子
小松宏子

小松宏子

フードジャーナリスト
祖母が料理研究家の家庭に生まれ、幼い頃から料理に親しむ。広告代理店勤務を経て、フードジャーナリストとして活動。各国の料理から食材や手土産、器まで、“食”まわりの記事を執筆。料理書の編集や執筆も多く手がけ、『茶懐石に学ぶ日日の料理』(後藤加寿子著・文化出版局)では仏グルマン料理本大賞「特別文化遺産賞」、第2回辻静雄食文化賞受賞。

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