妻が乳がんになり「胸を失ったらどうする?」「生活に変化はあったか?」など夫にインタビュー。意外な答えに驚いたケビ子。乳がん・ニューライフ (第37回はこちらから)
第38回は乳がんを誰にどこまで伝えるかの話。
乳がんと診断されてから誰にいつまでどの程度を伝えるべきかを考えた。
なにしろ思ってもみなかった「がん」に自分がなってしまい、自分自身にかける言葉も見当たらない。
そのような状況で誰かに伝えても過度な心配や不用意な一言があったらどうしようと思い悩んだ。つまり周囲も自分も信用できていない状況であった。
誰にも言わずにいられるのであれば、日常生活こそしばらく不便にはなるが、それと引き換えに余計な気を遣うこともない。
しかしながら、現実としては夫と母には病気を伝えないと私自身の気持ちと生活が成り立たないことは容易に想像できたために早い段階で伝えようと決めた。
夫と母は似たタイプなのだ。
事細かく知りたがり、知っていると安心するのか余計なことを言わずに見守ってくれる。これが心地よいので気持ちを整理しながら細かく伝えることにした。
乳がんになる前に子宮の手術をした。2009年6月下旬、ケビ子は36歳であった。
マイケル・ジャクソンが亡くなったというニュースが連日ワイドショーをにぎわせており、病室で「えーマイケル!」と追悼した。今でも健康診断で過去の病歴を記録する際はマイケルの亡くなった日を検索して手術した時期を確認する。
子宮がんの一歩手前と先生は言った。「高度異形上皮」というのだそうだ。不正出血に悩み、定期的に婦人科に通院していたところ「様子見」という状況が2年ほど続いたのち、手術となった。
この時は2泊3日の入院と有休をくっつけて1週間ほど仕事を休んだが、当時は男性だらけの部署におり女性は私ひとり。おしゃべりな上司はうわさ好きで、日ごろからどこで仕入れてきたのか?という情報を吹聴するタイプ。うわさの中心にはなりたくない。したがって病気休暇ではなく、1週間のリフレッシュ休暇を取ることにして会社には一切報告はしないことにした。勤続年数に応じて付与されたリフレッシュ休暇が残っており、ラッキーであった。
上司には「実家に帰ってリフレッシュしてきます」と報告し、1週間後にはさもリフレッシュした雰囲気で出社した。女性の同僚にも言わず、家族と会社とは関係ない友人数名には伝えたがそれっきり。
幸い術後は体調不良もなく継続した治療もなかったのでこの時はこれで終わった。私としてはこの時の病気は職場に伝えなくてよかったと今でも思っている。
今こうして書いてしまっているが、まあもう過去のこととして消化されているから書けるのだろう。
ケビ子が乳がんを誰かに伝えることをためらった理由が3つある。
1つ目は乳がんは10人にひとりがなる病気だといわれているが、自分の周囲に乳がん罹患者が母親以外見当たらないこと。実際いるかいないか、ではなく自分の周囲に「乳がんです」と公表している人がいないということなのだが、さすがにこの環境で「乳がんです」と言うのは緊張した。
2つ目は伝えた相手がどの程度病気を理解しているかわからないために、思わぬ反応をされたらどうしようという恐怖があること。「え?でもそのくらいなら全然大丈夫でしょ?」と軽く言われたら傷つくし「それは大変だ。仕事は大丈夫か?もっと休んで!」と大声で言われても不本意である。「治療費はどのくらい?」金目の話も苦手である。
そっとしておいてほしいのだが、ほどよくなぐさめてほしい気持ちもあって相手の反応が読めないからこそ伝えること自体が面倒に感じた。
3つ目は公表することにより「ケビ子さんは乳がんの人」となってしまったらいやだなあという思いがある。乳がんはあくまでもケビ子の歴史の1ページであり、そうあってほしい。病気を境におしゃれをするのが好きな自分やユーモアを愛する自分がいなくなるわけではないのだが、実際問題「乳がんなのにおもしろいことを書いている」とコメントをもらったこともあり、「乳がんなのに」という目線が加わってしまうのはやはり不本意なのである。
後編につづく
※次回【vol.39】は2023/7/14公開予定です。
43歳で結婚、47歳で乳がん。
心配性の夫、奴さん(やっこさん)はなぜかうれしそうに妻の世話を焼いている。Instagram(@kbandkbandkb)ピンクリボンアドバイザー(初級)資格保有