幸い再発も転移もなくクリアとなったのだが、これも日々の体調管理が功を奏したと自分をほめるというよりは主治医から「ケビ子さんの乳がんタイプからして再発はあっても数年後でしょうね」という言葉があってこその安堵と言える。
術後2年、自分なりにがんばっていると思いつつもどうにも自分のしていることに自信が持てなくなっている。「これまでだって健康には気を使ってきたつもりなのに病気になったんだから」というのが自信を失った原因と言える。
そんな流れで今日は乳がんで得たものと失ったものを整理してみたい。
そんなものはあるのか?とこの2年を反芻してみる。
2年前とは別人のように自己主張するようになった。自分の都合を主張して気が乗らないことには距離を置く。今までだったらそうした人を見ると「えー」と思うような側に行けた。「私は遠慮するね」とはっきり言えるようになってしまった。
病気をして周囲に心配をかけたくないからと大丈夫じゃないのに大丈夫と言っていたのでは体が持たないことを心底学び、まずは夫に遠慮なく伝えてサポートしてもらうことに「申し訳ない」という思いがまったくなくなった。この感覚が大きく影響していると考える。
体調や気持ちに無理をしてそれほど気乗りしないことをするには人生は儚いことを知ってしまったのだ。
そして案外自分の都合を主張したところで対人関係に大きな影響はもたらさないことも知った。年齢もあるのだろうが「えー付き合い悪いよ」だとか「少しくらい大丈夫でしょ?」と押し付けるような人は周囲にはいない。
ほかに得たことはなんだろうか。
視野の広がりも得たことのひとつだろう。
人生観が変わるような大病をすることなく48年生きてきた。家族は病気にもなったりしたが、いかんせん当事者意識がなく病気や不自由な生活をしている人への理解が足りていなかった。
こんな些細なことで傷つくのか、こんなことでうれしくて涙が出るのか、病気の告知から今までたくさんの思いやりに出会い、喜怒哀楽がかなりアップデートしているのを感じる。私がしてもらったように日常で自分ができることは積極的にしていきたい。
圧倒的に「えいや!」と思い切りよく行動することができなくなった。何か新しいことを始めようと思っても体力に自信がない、自分がデキるはずがないと最初の「えいや」がまったくきかなくなっている。病気の前はやってみたいことがあればひとまずやってみよう、と行動を起こすこともできたのに、今ではありもしないたらればを並べて始めない言い訳を探すありさまである。
ホルモン治療の影響も多少あるのか、落ち込みや集中が続かないなども自覚があって「えいや!」ができない(と言い訳している)。困ったものだ。
そしてほかに失ったものはなんだろうかと考える。それは胸の一部。
そりゃあそうだ、部分切除したのだから胸の一部。
先日有名な女優が自らの乳がん体験を語るインタビュー記事を見たが、彼女も部分切除したもののしばらくは鏡で胸を見ることができなかったと書かれていた。サバサバしていそうなイメージの方だったので「わあ私と同じだ!」とむしろ驚きながら読んだ。
あったものを失ったけど悪いものを取ったのだから、と言い聞かせながらもやはり自分の中でのおちちの存在感を知ることとなった。
このように経験しないとわからないことはたくさんある。
同じ病気でも私の乳がんは私だけのもの。ほかの人には当てはまらない。自分のことを守るためにも適切な自己主張とほどよい諦めのバランスをみながらマイペースで生活していきたいなと思っている。
今後は不定期更新となります。
カモチ ケビ子
心配性の夫、奴さん(やっこさん)はなぜかうれしそうに妻の世話を焼いている。ピンクリボンアドバイザー(初級)資格保有