
東村アキコさん
ひがしむらあきこ●漫画家。2007~2011年連載の『ママはテンパリスト』(集英社)が人気を博し、『海月姫』(講談社)で2010年度講談社漫画賞少女部門を受賞するなど、多くの人気作を執筆。このほかの代表作に『東京タラレバ娘』(講談社)などがある。現在『銀太郎さんお頼み申す』(「ココハナ」集英社)を連載中。2015年第8回マンガ大賞、および第19回文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞を受賞した不朽の自伝漫画『かくかくしかじか』(集英社)がこの5月に映画化。
祖母の家だった場所を、アトリエのロケ地に
━━映画『かくかくしかじか』、大変おもしろく拝見しました。恩師の日高先生との絆、取り戻せない後悔、そして悲しい別れ……と、原作の雰囲気そのままに繊細に描かれていて、胸をえぐられるようでした。明子役が永野芽郁さん、日高先生役が大泉洋さんというのもハマり役でしたね。
実は、映画化するなら主人公の明子役を永野芽郁ちゃんでやりたいと思っていたんです。そうしたら、関和亮監督とプロデューサーさんから芽郁ちゃんもやりたいと言ってくださっているとお聞きして。これまでも映画化の話は何度かあったんですけれど、キャストが決まっていたのは初めてだったし、芽郁ちゃんは演技力が素晴らしいじゃないですか。それはぜひやりたいと思ったんです。
先生役は、漫画を描いている時から実写にするなら大泉洋さんがいいなと思っていたくらいでしたが、トップスターだし、お忙しいから無理だと思っていたら、プロデューサーさんたちが頑張ってくださって。夢のようなキャスティングになりました。
━━自伝的ストーリーということで、東村先生も現場に訪れて、撮影にも全面的にかかわったと聞きました。
そうですね。例えば宮崎弁のニュアンス。「ここの言い回しは、もっと強く言っていいですよ」と方言指導をしたり。絵画教室で日高先生が竹刀を持って、絵をバンバン叩くシーンでは、「こんな感じで叩いていました」と、‟所作指導”をしたり(笑)。監督が同じ年で、私の意見も全然嫌がらずに聞いてくださったのでありがたかったです。
実は、ロケ現場もうちのおばあちゃんの家なんです。宮崎のロケハンに同行した時に、「宮崎の海辺の家って、こんな感じ」と、参考になればとおばあちゃんの家に連れて行ったら、「ここで撮りたい」という話になって。ちょうど空き家だったので、中をアトリエに改装して使うことになったんです。隣も向かいの家も親戚だったので、親戚一同全面協力みたいな環境で撮影することができました(笑)。

“ガチの指導”を受けたから、今、私は頑張れている
━━今回、映画化したことで当時のことをいろいろと振り返ったと思いますが、改めて気づいたこと、わかったことはありますか。
撮影で、大泉さんに「日高先生がガミガミ言うのは、東村さんの将来を思ってのことでしょ」と言われたんです。私も以前はそう思っていたんですけれど、思い返すとそうじゃなかったなと。私の成長のために怒っていたのではなくて、単純に「この絵じゃダメだ!」ということに対してキレていたんです。だから大泉さんにもそういうふうに怒ってほしいとお願いしました。
今思うと、先生は「教師」ではなくて「画家」だったんですよね。私は本物の芸術家にガチの指導を受けたのだと。だから今、私は頑張れているんだなという結論が出たので、映画を作ってよかったなと思いました。
━━まさに画家と弟子、ですね。日高先生が明子に「描け!」「描くことで答えがわかる!」と言い続けるシーンが印象的でした。東村先生は、これまでずっと描き続けて、何か見えてきたものはありますか。
日高先生が教えてくれたのは、甘えとか逃げる気持ちを一切排除して、無になって描くことが大事なんだということだったと思います。絵だけじゃなくて、何でも芸事を極めるには、自分ががむしゃらにやるしかないわけで。
「ルーブル美術館でホンモノを見たほうがいい」とか、「恋愛すると絵も変わってくる」とか、指導者が言いがちな内面が変われば絵もうまくなるみたいなことを、先生は一切言わなかったんです。とにかく描け、手を動かせ、ものを見ろ。それしか言わなかったけれど、それこそが正しい道だったと、今は思っています。
だから、映画に出てくる絵は全部私が手配しました、絵に説得力がないとこの作品が成立しないと思ったので。私が当時、教室で描いたデッサンも登場しているんですよ。あのころは、日高先生に追い込まれてギリギリの精神状態で描かされていたから、やっぱりいい絵を描いているんです。いつ竹刀が飛んでくるかわからないから、ピンと張り詰めた、研ぎ澄まされた絵で。ああいう絵は二度と描けないなと思いました。
━━今も日高先生の指導が東村先生の人生に大きな影響を与えているんでしょうか。
まあ、強烈でしたからね。今の時代だとパワハラになっちゃうので……昔話なので許してくださいって感じです(笑)。でも、日高先生のことを忘れていた時期があるんですよ。先生が亡くなって10年くらいたったころ、後輩のアシスタントに「日高先生のことは描かないんですか?」と言われて思い出したくらいで。
いいことでも悪いことでも、若いころの「やらかし」は誰にだってあると思うんですが、一度忘れていいと思うんです。私も、当時の思い出をずっと引きずっていたら、逆に描けなかったと思うんですよ。いずれ思い出す日がその人のタイミングで来ます。その時に改めて、しっかりと向き合えばいいと思っています。

やりたいようにやる、 悔いが残らないように
━━50歳を迎える年、人生の節目に人生を振り返る作品を作られました。今後はどんなふうに人生を歩んでいきたいと思いますか。
人間、仕事ばかりしていては生きる意味がないので、プライベートを充実させたいですね。やりたいことをやるって大事だなと思っています。
今手がけている『銀太郎さん お頼み申す』という着物の漫画は、趣味の茶道から興味を持ったことがきっかけなんです。企画した当初は着物に憧れがあったものの何も知らなくて、逆に知るほどに作品にしたくなりました。それに、私の中で着物は革命的にラクチンだったんですよ。着付けに時間がかかるし、「紐1本が見当たらない!」みたいなことになるだけでもう着られないので几帳面さが必要だったりと、大変なことも多いんですけれど、ブラ紐を気にしなくていいし、ハイヒールもストッキングも不要だし、アクセサリーもしなくていい……。漫画を描く時はジャージ姿なんですが(笑)。
そして、会いたい人に会いに行く。この映画もそうですけれど、そのうち、いつかと思っているうちに10年たってしまって、気づいたら大事な人に会う機会を失っていることも。日高先生があっけなく亡くなってしまったので、余計にそう思うようになりました。私が漫画で稼げるようになったら、一緒にヨーロッパの美術館に行ったりしたかったのに、それも結局果たせなくて……。
後悔しかないので、この先は、悔いのないようにやりたいことは全部やっていこうと考えています。

「原稿を描く時に髪の毛が垂れてくるのがすごく嫌で、きちっとまとめるのですが、髪どめは少女漫画家っぽいラブリーなものにするというルールを自分で決めて集めています。ママ友にすすめられたクリップ式のお気に入りは、けっこうなお値段がするものでヘビくらいなら仕とめられそうな超強力なホールド力! 韓国に行くとラブリーな髪どめが多く売られていて、値段も安いのでつい買ってしまいます」

「知らない土地に行くとか、恋をするとか、引っ越しをするとか、今までやったことのない新しいことにチャレンジしてみてほしいですね。人生を思いき切り楽しんでください! ただ、バンジージャンプとかスカイダイビングとか、危ないアクティビティは、40代になったらやらないほうがいいと思います(笑)」