中原淳一先生のご子息のお嫁さんが現在は作品の管理会社をされているそうで、その方との対談を通じて中原淳一先生のフィロソフィーを知ることができた。
なかでも驚き、感動したのは戦後の焼け野原で何もない時代。
戦争終結後の1年後に出版した「それいゆ」という少女向け雑誌の創刊のことばに感じ入った。
「おなかの空いた犬たちにバラの花を見せても、食欲は満たしては、あげられない。だから何の意味もない雑誌だと言われるかもしれないけど、わたしたちは「人間」なんだ。だから窓辺に一輪の花を飾るような気持ちで見てほしい」
お金も物資も何もない時代だからこそ、清潔第一で身ぎれいであること、人形の作り方と型紙、洋服のスタイルブックやとても細かいレシピ集などそれはそれはとても小さな文字で、でも読み始めると例えばレシピなどはなるほどイメージが一発で浮かぶような細かい書きっぷりに感動する。
少女時代に情緒をどう育むかについて、真剣に考えて雑誌を作っていた様子が雑誌や付録を拝見してとても伝わってきた。
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清潔で自分が心地よく、かつTPOを意識して一緒にいる人にも不快な思いをさせない、そういう基本に立ち返るコンパクトながらも素晴らしい展示であった。
9月27日まで展示されているようなので、お時間が許せばぜひどうぞ。
対談を読んで、ブラウスに合うハンカチを前夜に選んでいた少女時代を思い出しながら出かけてみたい展示会。(入場無料)
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そういえば、と思い出した。
3年前に父が亡くなり、母が手持ちの洋服を整理し始めた。
奇妙なほどに明らかに身辺整理をし始めた母のクローゼットには数枚の洋服が残るだけとなった。
「いつ父のそばにいっても良いのだ」という母の言葉は、余計な反論は受け付けない強さがあった。
お盆で帰省した先月、母が久しぶりに洋服を買ったのだと見せてきた。
「三越に行ったら気に入るワンピースを見つけたから」と娘に見せてくる母。
父が理由でもあり、実は体調も良くなかったこともあって悲観的になり服を捨てたのだと言う。それが体調が良くなってきたからデパートでワンピースを買ったのだと。
おしゃれしたい、その気持ちこそ流行りの言葉で言うと自己肯定そのものなんだなあと感じたことを中原淳一先生のふろく展のおかげで思い出した。
そんなことを頭で整理しながら駅までの途中にあったヨックモックカフェでモンブランを食べた。
やはり、シメは甘いものだね。
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