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要らぬ構いだてには心がささくれだちます【小説・じゃない側の女ープロローグー】

結婚していない女。選ばれない女。子供を産んでいない女。育てていない女、もらえない女……。好む好まざるにかかわらず「じゃない側」からはそう簡単に抜け出せない。
要らぬ構いだてには心がささくれだちます【小説・じゃない側の女ープロローグー】_1_1
独身の時は「結婚した女・できた女」は「してない女・しない女」よりそんなにすごいの?と思う場面がよくあったが、いざ結婚すると今度は「妊娠した女」は「してない女」よりそんなに偉いの?「産んだ女」は「産んでいない女」よりそんなにすごくて偉いの?と思うことがままある。

そして私はいつも「そうじゃない側の女」だ。

結婚していない女。選ばれない女。子供を産んでいない女。育てていない女、もらえない女……などなど、好む好まざるにかかわらず「じゃない側」からはそう簡単に抜け出せない。

例えばお子を産むということは、新たな命を宿しこの世に産みおとすのだから、たしかに尊く意義深いことだと思う。

でもだからといって。

どうしてそう「である側の女」は、そう「じゃない側」の女を憐れんだり、勝手に残念に思ったりするんだろう。自分の属する群にいない女のことは、ほっておいてくれればいいのに。

なぜ比べたがるのだろう。あたかも「じゃない側」が不正解かのように間違っているかのように追及し、「じゃない側」にごめんなさいお恥ずかしいと認めさせようとするのだろう。

「なんで結婚しないの?」
「子供欲しくないの? 絶対作った方がいいと思うよ。子供がいる方が楽しいって」
「老いて女が一人って、寂しいでしょう?」

そんな要らぬ構いだてに、「じゃない側」の女は疲労を静かに蓄積させ、少しずつ心がささくれだつ。

ささくれって地味に痛い。それでも。

「じゃない側」の女が逆サイドに反論したり反撃することは、ほぼない。それは優しいからとか道徳的に素晴らしいからなどではない。いいか悪いかそんな暇がないからだ。

人生は、選択の嵐。
自分が何をどう選びどう決めたか、決めるか。その積み重ねが人生で、その責任は自分にしか負えない。

「じゃない側」の女は、いつもそれを肝に銘じ続けている。逆サイドの人の肝ではなく、「じゃない側の女」である自分の肝に。

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