家にいることに慣れすぎた平坦な日常が心と脳を疲れさせる
逆にコロナ禍が始まった頃は、あれもできない、これもできない、ここにも行けないと、禁止事項を並べて、自分を無理矢理に家の中に押し込めていたから、どこにも行かない自分に精一杯抵抗し、心がザワザワ落ち着かなかったはず。でもだからこそ、この時間を決して無駄にしたくないという焦燥感から、断捨離したり、エクササイズしたり、家でフルコースの料理を作ったり、ガーデニングを始めたり。むしろとても活動的だった。何かを始め、やり遂げる時に出るエネルギーが、それまで以上に私たちを活性化させていたかもしれないのだ。ずっと家にいたとしても。
ところが今は、動かないこと自体に慣れてしまい、暮らしも心も平坦であることが当たり前になってしまっている。にもかかわらず、何だかぐったり疲れていたりはしないだろうか。じつはそれ、心も体も動かないからこそ生まれる疲れ。
一方で、ある種の不安はずっと続いているから、脳は疲れている。実はこうした静かな疲れが怖いのだ。肉体的な疲れは休めば癒せるけれど、変化がない日々の平坦がもたらす心と脳の疲れは、じつは肉体疲労よりも、ずっと人を老化させると言われるのだ。心が動かない、とりわけ感動のない日々を生きていると、人はいたずらに歳をとってしまうということ。
だからこそ今必要なのは感動。まぁ不安を感じながらも、オリンピックは必然 的にその一助にはなるのかもしれない。とはいえ、それもアッという間に終わり、終わった時の喪失感や虚無感はさらに問題。もっと日常的に心が動く暮らし方をしなければ、人々から輝きが本当に失われていってしまう。