私の場合、高校生のときに欠かさず買い続けていた雑誌「ジュニー」があります。今はもうなくなってしまった「鎌倉書房」という出版社から出ていたのですが、モデルのハーフの女の子たちがとにかく可愛くて、大好きで。
専属モデルだったジューン、そして他の本などでも活躍していたティナ、ジョディ・ブラウンなど・・。
今も見返すとキュンキュンします。
当時はフリルやレースなどの甘さたっぷりのものが流行っていて、「ジュニー」にもそのテイストが満載でした。そこにときどき、ブルゾンやトレーナーなどのスポーティーなものや、トラッドなものが出てくるというバランスで。
でも今のように、それをミックスして複雑にしなければということはほとんどなく、「甘いスタイル」「スポーティーです」「トラッドならば」と、はっきりと分かれたコーディネートで掲載されていましたね。
でも周囲でこの「ジュニー」を愛読している子はそれほど多くなく、「オリーブ」「ノンノ」「mcシスター」のほうがメジャーだったかもしれません。
高校生当時、私は服でもお菓子でも、何かしら「手作りをする」ということが好きだったのですが、当時の「ジュニー」には、ファッション誌の中でも珍しく「製図」が載っていて、掲載されているブランドの服でも、頑張れば「真似して作れる」という仕組みになっていたのですよね。
それにしても、手芸の材料のお店なども記事に出ているのですが、そしてもちろん、掲載されているお洋服の問い合わせ先などもあるのですが、当たり前ですがすべてが東京・・。
「東京に行けば、これが全部見れるのか!」
と、地方都市(それもどちらかというと工業都市)に住んでいた私は、憧れに憧れたのでした。
それに東京といえば、お店だけではなくて、あの大学もこの出版社もあのテレビ局も、全部東京にあるんでしょ!? 地図で見ると小さいのに、東京にはどうやってそれだけのものが詰まっているんだ!? どうやって折り畳まれているんだろう、と不思議に思っていたものでした。
そして、大学からは絶対東京に行きたいなぁと「やりたいこと」より先に、「行きたい場所」として東京にある大学をターゲットにすることを早々と決めていたのでした(笑)。
こう言うと”おのぼりさん感覚“が強くて恥ずかしいのですが。
当時は、雑誌に載っているブランドは、県内でも遠い場所のいわゆる”ファッションビル“にしかありませんでした。そして当時は、靴でも雑誌掲載の1万円超のものを見て「高いなぁ・・いいなぁ」と思っていたことなどが、懐かしく思い出されます。
しばらくしての就職活動で、いくつかの出版社を受験して、集英社に。
最初に配属されたのが「ノンノ」だったのですが、あるときふと「あれ? 雑誌に載せるものを、今私が選んでいるのか」と不思議な気持ちになったものです。
今は作るのほうの大変さをひしひし、というほうになってしまいましたが、あの青春の頃。発売日を首を長くして待ち、隅から隅まで一文字も逃さず、読んでいた頃が懐かしいです。
服のクレジットはもちろん、読者のお便りやポエムのコーナー、なんだったら広告の1文字1文字まで、全部読んでいたかも!!
そして普段、忘れていたことですが、あのころ「服の成り立ち」が好きで、自分でもミシンに向かっていたりしたんだなぁ、と。
長らく情報誌としてのファッション部分を担当していたわけですが、ここへきて異動になった新生マリソルでは、服も作って販売しています。
なんとなく、そこの原点のところに、ある意味近づいたところに来た、とも言えるのかな?と今気づいてみたり。
黄ばんだ青春ですが、手元にあるのが嬉しい。
自分の中の初々しい気持ちや何かを買ってみよう、作ってみようとおもうときのワクワクする気持ち。
それらを思い出したい時にひらく、心の卒業アルバムみたいな雑誌たちです。