「専業主婦。扶養の枠内にいたいから、ちょこっとパートしてるくらい、本屋さんで。あ、今日はここで主人と待ち合わせなの」
「そうなんだ」
真木と理沙があいづちをうつ。
「3人とも名だたる企業で働いてるんだよね。ずっと働いてて偉いね、すごいね」
「って言われたら、そんなことないよー、とかってあたしたちが言うのが普通の流れだとは思うんだけどぉ」
「え?」
「言わなーい。偉いしすごいと思ってくれるなら素直にお礼を言います。ありがとう! はい、じゃ、須藤さん久々にカンパーイ」
ハイペースでシャンパンをひたすら飲み続けている理沙の口調が一瞬だけするどくなったような気がしたが、気のせい? 瞬間ピリッとした空気に気づかないのか意に介さないのか、須藤慶子は私に話しかけて来た。
「結花ちゃんのそのスカーフ、エルメス?素敵ね」
ああ、これ。ストレス発散の衝動買いで、会社帰りについ買ってしまった物のひとつだ。つい、にしてはまあまあ高かったと我ながら思う。
「ありがとう」
「いいよね、そういうの自分で好きに買えるって。私、経済力ある女性がほんとうらやましい。私なんて今日上から下までコミコミで1万円しないんじゃないかな」
彼女のその言葉に、
「着心地がよくて使い勝手がいいのが一番だよ」
真木だけがにこやかに返事をするが、私と理沙は、微笑は浮かべるものの特にコメントはしない。そしてさらに彼女は続ける。
「みんなは、私と多分読む雑誌も違うんじゃないかな。マリソルとか読むんでしょ?100万のダイヤモンドのピアス、120万の時計、7万のストールに2万のニット帽、58万のコートに30万のバッグ。こういうのいいな!と思ったら、毎月ポンポンそういうものがリアルに買えちゃうんでしょ?それってすごいよね。私の普段の生活とはゼロの数が違うもん。本当にすごいことだよね、かっこよすぎる」
ハイペースで「すごいよ、すごいよ」を連呼する須藤女史の言葉に、もはやほろ酔いラインを超えて、とろんとした目つきと共に凶暴なオーラを発しはじめた理沙が少しずつかみつきはじめる。
「あのさあ、そのすごいって、何かと比べての相対評価?」
「相対…?」
急に背後から噛みつかれてキョトンとする須藤女史。
「絶対評価ならありがたくいただく。でも、控除受けながら仕事も出来ちゃって、それでもおよそ旦那の給料で暮らせて、食べさせてもらえて、そのお金で習い事に行ったり旅行に行ったりもできちゃう専業主婦っていう素敵な立ち位置確立してる人と比較されて、すごいすごい言われてもね。それどうなのーって思っちゃう」
手のひらをひらひらさせてケラケラ笑い始めた理沙の腕をぎゅっとつかむと
「須藤さんごめんね、理沙ちょっと酔っぱらっちゃったみたいで」
と間に入る真木。
「酔ってないって。結花も真木もちゃんと言いなさいよ、今日は毒吐くだけ吐いてすっきりして帰れってさっきマスターも言ってたでしょ。あのさ、103万の壁だか130万の壁だか知らないけどね、専業主婦の皆さまにも壁があるように、こちら、つまりどなたにも食べさせてもらえないし働きますよって女の側にも壁はあるの。新聞に載るほど有名な壁じゃありませんが、壁はあるの」
なんとか黙らせようとする真木を力いっぱいふりほどいて理沙は続ける。
「もっとくそ高くて分厚くてそり立つ壁に、毎日毎日顔面からぶち当たってもう鼻から額から流血しまくってゼイゼイ言いながら乗り越えて乗り越えて乗り越えてやっとこさ生きてるんですね。組織の圧力やらプレッシャーやら期待、周囲の目や他人の評価、ストレス、義務、責任、理不尽、不平等、しがらみとかとかっていうもの達相手に、20年たってもいまだ懸命に格闘中なの。だからすごいねーっていう言葉に『あなたたちきらびやかにおもしろおかしく暮らしてられて、お気楽でいいですねー』的な意味込められて投げられると、もう言いようがないくらいイラッとするんですよ。あたし達は別にキリギリスじゃないんでね」
あ、だめだこれ。理沙が丁寧語を使い始めるとそれはもう相当酔ってますのサイン。真木もそれに気がついてこれはまずいとこちらに目くばせしながら理沙の口を押えて水を飲ませようとする。
「待て待て待て。ここで何故そんなファイティングポーズを取る? ほら、お水飲んで」
そんな理沙の勢いに圧倒されてうつむき、一瞬へこんだかに見えていた須藤女史は、ゆっくり顔をあげるとひとつ深呼吸をしてから低い声ではっきりとこういった。
「谷原さん、ほんとに何でも言ってすっきりしていいの?」
そうだ、忘れていた。うちのガッコ、体育会系だろうが文化系だろうが、気性激しい猛獣女子たちがのびのびと育つ学校だったんだということを。
「なら言うね。私さっき嘘言ったの」
この怖い頭だしで、次は須藤慶子が語り始めた。
「私ね、正直、結花ちゃん嫌いだったの。今も苦手」
へ?
私?
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