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口ぐせは「芸人たるもの」。何かと空回りしております。

職業:美術館職員
My favorites:アート鑑賞、宝塚鑑賞、建築鑑賞、K-POP鑑賞、とにかく鑑賞。

昨今はおしゃれ迷子ですがなんとか生きています。
猫、夫、自分の3つの生命体で一つ屋根の下に生息。酒は飲めないが四文屋にいがち。

身長:168cm

映画『PLAN 75』生きるとは身勝手なことなのか

家族や友人には長生きしてほしいと思う一方で、自分に対しては思えない。どうして? 映画『PLAN 75』を鑑賞後、もやもやしていた思いの輪郭が見えてきた。ネタバレはしていないと思います、たぶん……。
ゲルハルト・リヒター 雲 1970 フォルクヴァング美術館蔵
ゲルハルト・リヒター 雲 1970 フォルクヴァング美術館蔵
人生100年時代、健康で長生き!とどこかから聞こえるたびに、胸にじわじわと、薄まった墨汁が広がっていくような気分になる。「生きろ、生きろ」と言われることに、いつからかなんとなく疲労感を覚えるようになった。

映画『PLAN 75』は、タイトルにもなっている「PLAN 75(プランななじゅうご)」という架空の制度をめぐる話だ。少子高齢化社会の対策の一環として、75歳以上が自らの生死を選択できるという制度が日本で可決される。この制度を軸に、「生きる」とは何かを観る者に問う。

私はこの、あくまで架空の制度の内容をみたとき、「いいなそれ」と思ってしまった。言っておくが、現在の75歳以上の方々に対しての「いいなそれ」ではない。あくまで自分だけに当てはめた時、率直にその感想が出てしまったのだ。死の選択を許される。なぜか安堵してしまう。

「まだ40代」「子育てもないんだし、気楽」「結婚しているんだから、働かなくても大丈夫」。好意的に投げかけられてきたその言葉たちをすべて鵜呑みにしようとしてきた。そうだよ大丈夫。元気だけが取り柄だし、なんとかなる! そのたびに、心を恐怖が襲った。健康も結婚も、この先ずっと存在するという保証はない。いったい何が大丈夫なんだろう?

社会から孤絶する中、動かなくなる体、衰える視力、聞こえづらくなる耳。じわじわと取り上げられていく、ひとりで生きていく力。その間、私は生きていて、お金がかかる。
「もう、ここらへんでいいかな」と、75歳の私はつぶやいてはいまいか。

しかし、主人公と自分を重ねてみていくうちに、ある部分で思い違いをしていたことに気づいた。今はこんなふうに老後を恐がりどこかに終わりを求めてしまう。しかしこの制度が可決された時点で、自分が該当年齢だったとしたらどうか。

国から「死ね」と言われた、と感じはしまいか。

私たちは「人に迷惑をかけてはいけない」と教えられて育つ。それは他者を思いやる美徳となる一方で呪いとなる。その精神に付け込んだ「PLAN 75」のような制度が、このままでは出来かねない。そんな社会への危惧を、この映画は突きつけてくる。

映画館の観客の中には、高齢の方も多く見受けられた(時間帯にもよるのだろうが)。隣に座られていた老婦人は、どう感じたのだろう。まだ薄暗い映画館の階段を下りていく彼女の背中を見つめながら、全くの他人である彼女の健康を祈るしかなかった。

映画『PLAN 75』生きるとは身勝手なことなのか_1_4
みっしりしたこと書いてますが、映画の後はタカノフルーツパーラーでしっかり甘いもの摂取。食べられるときに食べときましょ。

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