迎えに来てくれる人がいない女。
大きな地震があった日。私はあの時、夫どころか恋人すらいなかった。だから無事を連絡する相手も無事を確認する相手もいなくて、ひとまず両親にだけ無事を伝え、彼らの無事を確認した。
かなりの揺れが続く中、混乱する交通網をくぐりぬけ会社まで迎えに来てくれる旦那さん達。その姿を見るや心の底から安心した顔になって、小走りで駆け寄りぴったりとくっついて共に家路に着く女性たち。夫婦そろって子供を迎えに駆け出す彼らの姿を見送ったあの日。揺れ続けるビルから出られずに、心の底からああ私は一人だと湧き上がる孤独と心細さと不安と悲しさがこぼれないよう、思わずトイレの個室に駆け込み、手で口を押さえたことを今も覚えている。
でもあの時、迎えに来てくれる人がいた女性達は、いまだ迎えに来てくれる人がいない私が彼女らに抱いた思いを知ることはない。
誰かに対して責任を持ち、その誰かもまた自分に対して責任を持つ。その義務やしがらみは時に面倒で窮屈で時にやっかいに思うことだってあるかもしれない。
それでも共に責任を持ち合い、お互いを理解し、理解してもらおうと努力する中でこそ生まれ、その中でこそ育まれる絆や安心、喜びや幸せがあることを、私たちは皆知っている。
誰かを支え誰かに支えられ、誰かを守り誰かに守られる。その尊さその貴重さを、私たちは生まれた時から肌感覚で知っている。
知っているからこそ欲する。うらやましく思う。
そんな相手を、子供を、家族を、家を、絆を、安心を「持つ女」は、「持たない女」から見ればこの上なく幸せでまぶしく映り、本来ならそういった大切な絆や関係性をこそよりよく育むためにあるのであろう仕事を、キャリアを、経済力を「持つ女」は、「持たない女」から見ればきらびやかにまぶしく映るのかもしれない。
子を産み育てる女性は、自分の意のままにはならない命ある生き物と日々向き合っているのだ。自分以外の命を育てる時間の中でしなやかさもタフさも身につけて人としての器を大きく深くするに違いない。母として生きる女性の人としての成熟度は「そうじゃない側」の女にはとても及ばないのではないだろうか。
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