改めて考える。 "人に見せない美しさ"で、女の格は決まるのか?
例えば、下着のおしゃれ。“下着にこそお金をかける女が美しい”という価値観も、そこから派生したものに違いない。いやみんな頭ではわかっているのだ。見えない所ほど美しく……部屋の片付けができないのも、バッグの中がごちゃごちゃなのも、シーツをマメに変えないのも、自分の美しさを内側から壊していると分かっちゃいるけど、ついついおざなりになってしまうのが“裏地美容”なのだ。
ほとんど死語に近い瀕死の状態にあるけれど、「奥ゆかしい」という言葉がある。言うまでもなく、“上品で控えめなこと”だけれど、もともと「ゆかしい」は、心がそちらに強く惹かれることを指し、“明け透け”ではなく“秘めたる美”があるからこそ「知りたい、見たい」と思わせる。つまり、“見えないところにまで行き届いていそうな人”だからこそ、もっと知りたいと思わせるという意味にとってもいい。まさに日本語にしかない価値観だから、死語にはしたくない。日本古来のエレガンスを表現する言葉として、ちゃんと残すべきなのだ。そういう形容詞と共に、「下着にこそ贅沢する」という美意識も死んでしまうのだから。言葉自体が“お清め”みたいなものなのだし。