大人は涙で乱れてはいけない
撮影/John Chan スタイリスト/郡山雅代
それを思い出させられたのが、先日、自らの不倫疑惑への弁明の会見で女優が大泣きしているのを見た時。日ごろは美しい人が、どう見えるかなどかなぐり捨てて泣いていた。懺悔の涙なのか、恐れの涙なのか。嘘泣きよりは許せるけれど、一生懸命に涙をこらえて冷静に説明責任を果たす方が、見る人の心に訴えかけたかもしれないのに。そもそもが自分自身のことで泣くこと自体、もはや大人の女性には似合わない。女が泣かなくなった時代、感動の涙はもちろん美しいが、怒りであれ、悔しさであれ、悲しみであれ、自分のための涙は、人の心に訴えかけず、逆に白けさせてしまうのだ。
だいたいが、泣き顔も若いうちは可愛いが、大人が泣くと残念ながらひどく疲れて見える。人生にくたびれて見える。
大人の顔はどんな環境に置かれても、のりの利いたシャツみたいに、しゃんとした状態でないとやっぱり美しくないわけで、そう考えるなら泣くのはリスキー。凛としたまま、尊い涙を流せるならばいいけれど。
そう、大人は涙で乱れてはいけないのだ。まず、泣きそうな日の肌づくりには泣いても泣いてもやつれて見えない、生命感の煌めきが日中ずっとあふれだすばかりのポール & ジョーのプライマーを。そしてボロボロに泣いても、まつ毛1本1本が長く美しく上を向いたままのエレガンスのマスカラを。そして、実際泣いてしまった後のパリパリの肌にも、上からツヤを上塗りできる秘密兵器、資生堂プレイリストの化粧上地を用意して出かけよう。大人は泣く日も準備万端、泣くのなら、美しく泣く強い覚悟を!
(Marisol 2018年3月号)
美容ジャーナリスト、エッセイスト。美容やファッションの潮流に社会的な視点を加え、美しくありたいと願うアラフォーの未来を照らす。新刊『されど“男”は愛おしい』(講談社)をはじめ、著書多数