そのままでいいよと誰かに認められたがっている、受け止めてもらいたがっているなんてこと自体が要らぬことで、拠り所は自分自身の心であればいい。そんなことをやっと、ほんのちょっとだけ体感として。
離婚に至る経緯なんて他人に全部を言い尽くせるわけはない(そもそも本来はお聞かせするようなものでもない)。だから理沙が“ちゃちゃっと”言えといったのは正しい。どうせカイツマンデしか言えないなら、ちょっとでも面白おかしく言えることだけピックして言えばいい。3年という短い期間ながらも1000日以上のあれやこれや有象無象有形無形針小棒大、本当にいろんなことが山積みあった。でもそれを言ってどうなるっていうんだ、だってもう決めたんだから、あんなに悶々としてあんなに泣いてあんなに葛藤して私が決めたんだから、だから誰が何をいおうと、言うまいと、言いたい人はどうとでも言えばいい。
だって私は私なんだから。
うん、マスター。確かにいいか悪いか、私なりの開き直りとともにそういう心持ちになっている。なれている。
「真木って見た目は飄々としてるように見えるけど、元々誰より周りに目配りする女だから、それが行き過ぎて余分なことまで見え過ぎたり考え過ぎたり。不必要な疲労も勝手にしてきた女だと思うんだよね。まあ……金融業界に20年も勤め続けて管理職になるような女は、そこに至るまでに脳みそも神経もフル稼働させてないと男社会でタチウチできないことがさぞかし多かったせいだろうとはお察ししますがあ」
と、からかいながら私の頭をつつく理沙の指には、ベーシックな白フレンチに品のいいホログラムが美しいネイルが光る。私の乾燥した爪とはだいぶ違う潤い溢れる爪先に思わずみとれている私にマスターが言う。
「お前たちは賢い女だからさ、周りや先を見て頭でばばばっと考えて動こうとする癖がついてるんだよな。仕事でいえばそれがリスク回避でありプロジェクト管理だったりするんだろ? それはわかるよ、だけどほんとは頭なんていらないんだよな。心のままに動いたほうが絶対幸せになれる。なぜって頭はたくさん嘘をつくけど、心は自分に嘘をつかないから」
自分にすら嘘をつく頭。その時々の「あるべき」「すべき」のべきを語る理性と理論の頭ではなく、正直な心の声と直感に従ったほうが幸せになれる、か。まあ、それはそうかもしれない。理沙も珍しく黙って聞いている。
「どうなるにせよ、不満を言っている時間も立ち止まっている時間ももったいない。とにかく心のまま思うままに動けばいいんだよ」
「動く?」
「そう。じゃんじゃん動いて運動する。運動って『運を動かす』って書くだろ? 真木が動けば、真木の運も動く。理沙が動けば、理沙の運も動く」
「なんか今日、金八っぽいね」なんて茶化すのはもちろん理沙だ。
「思うままに、無様でもがむしゃらな迷走こそが後から振り返った時に人生の面白味ってものを与えてくれる時間になると思うんだよな。あれ? なんかちょっと俺いいこと言ってない?」
「最後の一言がいらないんだよな」
「え、理沙、俺うざい? 昔、嫁にも言われたことがあるんだよ、あなたは話がくどいって」
「えー! マスター奥さんいるの? 独身だと思ってた」
「正確には“いた”だな」
「なんだ、マスターも真木と同じバツイチか」
「いや。俺は真木が希望していた未亡人ってやつ。男でも未亡人っていうのか? 言わないな、なんだ? やもめ?」
「え? 奥様、お亡くなりになったの? ごめん、知らなくて……」
「理沙よー、ごめんと言ってくれるなら、金八からもうひとつだけ言ってもいいか?」
「まだ盛るの? 短めに頼みますー」
詫びながらも理沙は容赦ない。
「嫁や親、友人とね、少しずつ自分の周りがいなくなり始めてることにハッと気づいた時が本当に怖いんだよ」
「少しずついなくなる?」
「そう。大切な人が俺の周りから少しずついなくなってる!って実感として心底気づいちゃった時の怖さ、まだお前たちにはわからないだろ?」
「うん」
「大事な人は目の前にいるうちに、いなくなってしまう前に、手を握って触れたい人にはたくさん触れておいたほうがいい。抱きしめたい人は遠慮なく抱きしめておいたほうがいい。できるうちに、今すぐに」
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