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ひとり遊びが得意な会社員。韓国料理を求めて新大久保に出没しています。

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身長:167cm


コロナが終息したら行きたい海外第2位【歴史と美食の街: マカオ前編】

もしかしたら人生で一番衝撃を受けたかもしれない街・マカオの魅力をちょっと語ってもいいですか?

マカオが好きだーーっ!

コロナが終息したら行きたい海外第2位【歴史と美食の街: マカオ前編】_1_1
思いが募りすぎて、前段を書き始めると長くなりそうなので、
今日は四の五の言わずに

「マカオを愛さずにいられない5の理由」

に突入したいと思います。

理由①歴史の波に翻弄されすぎ

面積にして30.8平方キロメートル、世田谷区の約半分しかない小さな街、マカオ。
しかしその歴史を超シンプルにまとめると、
●中国の端っこの小さな漁村
からの
●大航海時代の表舞台として大繁栄
からの
●列強の覇権争いに巻き込まれあっという間に転落
からの
●ラスベガスを超える世界最大のカジノ都市として君臨
という、老舗番組『いつみても波瀾万丈』も扱いに困るほどの過去を秘めています。

そしてマカオの最大の魅力は、この複雑な歴史が、街の隅々にまるで地層のように露出していること。
その結果、小さな土地に驚くほど多様な風景が広がっていて、まるで何ヵ国も旅しているかのような錯覚に陥ります。

どんな風景に出会えるか、ざっとご紹介しますね。

16世紀より前、田舎の漁村に過ぎなかったころのマカオの姿を留めているのが、マカオ南端のコロアン島。ここにはカジノとも世界遺産ともまるで縁がない、のんびりした空気が漂っています。
マカオ コロアン
漁の無事を祈る素朴な祠がたくさん。
コロアン島では、少し道路を外れると亜熱帯らしい原生林が鬱蒼と茂っていて、マカオの原風景がうかがえます。

そしてマカオが大航海ブームのポルトガル人に“発見”され、アジアの海を舞台とする交易の要所となったのが16世紀の初めごろ。同じくポルトガルが拠点を設けた長崎との貿易により、大繁栄を見せたといいます。このころの様子を留めているのが、マカオ半島です。
マカオ マカオ博物館
聖ポール天主堂の隣にあるマカオ博物館では、アジア交易の積み荷などが展示されています。
マカオ マテオ・リッチ
ヨーロッパから商人たちと一緒にやってきたのが宣教師たち。こちらは中国文化をヨーロッパに伝えるのに多大な功績を残したイタリア人のイエズス会宣教師マテオ・リッチ先生とその助手。
ポルトガル人をはじめとしたヨーロッパ人が定住するようになったマカオには、多くの教会や施設が建てられました。
ユネスコ世界遺産になっている旧市街の風景は、ほぼヨーロッパ。
中国にいることを忘れてしまいそうです。
マカオ ドミニコ教会
1587年にメキシコから来たドミニコ会スペイン人修道士によって建てられた聖ドミニコ教会。
マカオ ローレンス教会
16世紀中ごろにイエズス会によって建てられた聖ローレンス教会の内部。明るいパステルカラーがポルトガルを思わせる。行ったことないけど。
コロナが終息したら行きたい海外第2位【歴史と美食の街: マカオ前編】_1_7
1569年に設立された医療・慈善活動の拠点、仁慈堂。
また、マカオは日本とのゆかりが深い場所。日本にキリスト教を伝えたイエズス会や、キリスト教弾圧によってマカオに渡った日本人キリシタンなど、日本史でおなじみのキーワードがあちらこちらに現れて、テンション上がります。
マカオ 聖ポール天主堂
マカオを代表する観光名所の聖ポール天主堂跡。そのファサードの建設には日本人キリシタンも携わりました。
マカオ ザビエル
イエズス会のスーパースター、フランシスコ・ザビエルの腕の遺骨が一時保管されていた聖フランシスコ・ザビエル教会。1928年建立と、かなり新しい教会です。現在、ザビエルの腕は同じマカオにある聖ヨセフ聖堂に安置されています。
東アジアの覇権を狙うオランダとポルトガルがマカオを巡って砲丸をバンバン打ち合うという、わたしが地元民だったら「喧嘩ならお宅の庭でやっとくれ!」と叫びたくなるような戦争(1622年)などを経て……
マカオ モンテの砦
聖ポール天主堂跡の隣にあるモンテの砦には、オランダ艦隊を撃退した大砲が残っています。
ポルトガルの居留地であり続けたマカオですが、正式にその植民地となったのは1887年のこと。
しかし豊臣秀吉と徳川幕府によるキリスト教弾圧や、イギリスとその拠点となった香港の台頭などの影響で、そのころには既に貿易港としては衰退していました。
マカオ 
ポルトガル語は今でも中国語と並んでマカオの公用語であり、すべての標識は二か国語表記が義務付けられています。こちらはヴァスコ・ダ・ガマ公園の標識。
起死回生を狙うマカオが19世紀半ばからテコ入れを始めたのが、ギャンブル事業。それから約150年間をかけて、「カジノの街マカオ」が形成されていきました。
マカオ リスボア カジノ
老舗カジノ「リスボア」。少し前まではマカオといえばこの建物でした。
1999年の中国返還を経て、2002年にはそれまで地元企業に独占させていたカジノ経営権を開放したことで、外国のカジノリゾートがこぞって参入し、その結果「東洋のラスベガス」と呼ばれていたマカオは、2006年についに本場ラスベガスのカジノ収入を抜いて世界最大のカジノ都市になりました。
マカオ カジノ
カジノリゾートが密集する埋め立て地、コタイ地区。コロアン島ともマカオ半島ともまったく異なる光景が広がっています。
そして現在。

観光が圧倒的な主幹産業であるマカオは、パンデミックへの対応もさすがに早く、
2020年の2月にはカジノ全閉鎖という前代未聞の処置を取り、
収入を大きく減らしたものの、感染はかなり低いレベルに抑えています。

世界中が経済不振にあえぐなか、来月には大型カジノリゾートがオープンするとのこと。
コロナ禍にあってなお発展を止めないマカオから、ますます目が離せません!
マカオ
聖ポール天主堂は1835年に火災によってファサードを残して焼失してしまうのですが、内側の焼け跡が生々しいファサードが、カジノリゾートの「グランド・リスボア」と相対しているこの風景こそ、マカオの数奇な歴史を象徴している気がします。

理由②マカオ料理が大航海時代すぎ

壮大な歴史を持つマカオは、料理のバックグラウンドもビックリするくらい壮大。

「マカオ料理」を一言で表すと「ポルトガル料理と中華料理の融合」なのでしょうが、実際にはそんな単純な話ではなくて、たとえばマカオ料理の代表格とされる【アフリカンチキン】↓は、
マカオ アフリカンチキン ソルマー
@マカオ料理レストラン「ソルマー」
●ポルトガルで昔から食べられていた鶏の炭火焼きを
●貿易商人たちがアフリカ大陸を回るときに入手した唐辛子でピリ辛にし
●マレー半島で入手したココナッツミルクでコクを出し
●さらにインドと東南アジアで入手した各種香辛料でより複雑な風味を付けたものを
●マカオに集ったさまざまな文化背景を持つ人々がそれぞれ発展させた料理
なのだそうです(※諸説あり)。

スケール、どんだけーーー

どこまでも広い紺碧のインド洋、
深緑したたる東南アジアのジャングル、
色も形もさまざまな香辛料が鼻腔をくすぐる港町、
そして西洋と東洋の名品・珍品を取引する商人たちのざわめきが、
ワンプレートに盛られたような料理ではないか!
マカオ リトラル
数軒食べたなかで一番口に合った「リトラル(Litoral)」のアフリカンチキン。この店は何を食べても美味しいし、店員さんもフレンドリーでした。
ちなみにアフリカンチキンは、下味をつけた鶏肉をグリルして、カレー風味のソースをかけたものなので、スパイスカレーのルーがあれば、ご自宅でも簡単に作れます。

レシピサイトに作り方がたくさん載っていますが、
本場っぽくするポイントとしては
●チキンの下味はしっかりめにつける
●ココナッツミルク必須
●砕いたピーナッツとブラックオリーブ必須
です。
マカオ ポルトガル 料理 バカリャウ
本格的なポルトガル料理もマカオの楽しみの一つ。干ダラ「バカリャウ」のコロッケはいくつでも食べられる美味しさ。
マカオ グルメ 料理
中華料理も美味しいに決まってる。蟹の卵を振りかけた汁無し麺と、プリップリの海老ワンタン。
マカオ エッグタルト
名物エッグタルトは店によって味が違うので、自分の好みを見つけようと躍起になって食べ過ぎてしまう。
すみません、長くなりすぎたので、残りは後編として次回書きます。

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