皆様、どんな時間を過ごしていらっしゃいますでしょうか。
私のプロフィールに「家族は娘2人とチワワ一匹」と書いているのですが、実は先月、「チワワ2匹」となっておりました。
Marisol ONLINEを手伝ってもらうことになった旧知のライターさんが、なんと保護犬カフェでボランティアを始めていたのです。
そして彼女の家で、4ヶ月くらいに渡り預かっていた、チワワの女の子をこちらに譲り受けることに。
もちろん、うちの娘たちは大喜びです!
下見に行かせてもらった時から、ものすごく人懐こい性格と愛くるしい姿、先住民のチワワ(それでも3キロ以下)よりも、さらに小さいサイズ(2キロ以下)にメロメロに。
今かいまかと家に来る日を待っていましたが、来てからは「さらに幸せになった!」と喜んでいます。
先住民の茶色のチワワ「ソラ」は、個人的に趣味でブリーディングをしている友人から頂いた犬でした。
そして今回は初めての試み、保護犬の譲り受け。
以前から気にはなってはいて、子供たちと一緒にいくつかの保護犬カフェを訪ねてはいたのですが、なかなか決心がつかず、結局はどの子も魅力があると決め手にも欠けて・・
でも、こういうことは本当にご縁ですね。
友人が「預りさん」だったので、詳しくそれまでの様子を聞くこともできましたし、しばらくの間、可愛がって生活をともにしてくれていた彼女のためにも大事にしなくちゃな,とそんな気持ちに自然になれたのでした。
保護犬・・・ということは、捨てられた、手離されたなどの何かしらの悲しい過去がある。もしくは流通に乗せられない、人間的な“商品”としての見方からすると、なにかしら“欠陥”があった場合などがあるようです。
「ゴマ」は耳が全く聞こえません。
通常、犬は耳がすごくいいことで知られていますよね。せっかく寝ていても、ちょっとした物音でうっすらと目を開けてしまったり、飼い主が玄関を開けるころには、その前の足音から耳に入っており、すでに出迎えに来ていることもしばしば。
ところが確かに、この子は何も聞こえていないのです。
耳もピクリとも動かないし、名前を呼ばれたから、それでクルリと振り向く、ということもない。
ただ、生まれた時からその状態で、それが「デフォルト」であるため、本人(本犬?)は何も違和感を感じていない。世の中に音というものが存在することを知らない、そんなもんだ、と思っているのかもしれません。
そして、とても明るく活発な性格です。
くじけない、めげない、チャレンジ精神,好奇心旺盛・・。
眼はしっかりと合わせてきます。
暖かく気持ちの良い場所には目がないので、すぐに誰かの膝にやってきます。
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ベッドの上大好き。
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キーボードを発見。
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仕事はほどほどにね!
「ゴマ」と名付けたのは、黒白だったので「ゴマフアザラシ」の「ゴマちゃん」から連想したのと、そうそう、「ごま塩」を思ったのもあります。
「この場所から生える毛は、この色」というふうに、あらかじめデザインされていて、それが一匹ずつ違うという不思議・・・。
犬に限らずですが、神様による動物の”毛並み“”毛色“アートはすばらしいです。
そして先住犬はオスで筋肉質なのですが、「ゴマ」はメスなので、なんだか身体つきもちょっと柔らかいのです。
持ち上げると、水袋を持っているような、不思議なプヨっとした感じがあり、気持ちが良い。
子供もそうですが、犬も一匹一匹違うものだなぁ、と面白く感じます。
ところでこんな可愛い、我々の生活にあらたな彩りと楽しさを与えてくれる子も、もしかしたらシェルターから出られず、人に可愛がられたり、生を謳歌することもなく、命を落としてしまうところだったのですよね・・。
「商品」は完璧でなくてはならないのが原則です。
お客様に届けるために、一生懸命、検品もしますよね。そしてもちろん、その基準から落ちてしまうものも,時にはあるわけです。
でも、これ命ですよ!?
いろいろと議論があるところだとは思いますが、人間の活動すべてには何にしろ手数料がかかるものですから、動物の居場所を動かすことについて、お金がかかることは理解できます。
でも、モノと同じ考え方ではじかれたものは廃棄してもよい・・という考えは、どうひっくりかえしても、どんなに理屈付けしようとしても、圧倒的に違うような気がします。
でも命と命の出会いは、更にかけがえのないもので。共に過ごして紡がれていく思い出はハンパないのです。
命ですから限りはあるし、幼少の頃から、幾度となく愛猫、愛犬との別れに涙をしてきました。
今後もまたその覚悟をしなくてはいけないのか・・と思うとやるせないですし、子供たちにも「覚悟はしておけよ」と言っています。
でも今は一緒に楽しく生きていくことを考えるしか、ないのです。
今回、私がお世話になった保護犬カフェ(といっても、猫ちゃんもいます!)はこちら。