……など、ともすると人は、どこまでも果てしなく「自分と逆側の存在」と「自分自身」を比べてしまいがちだ。
かつて不惑と言われた40(アラフォー)は、会社員生活でいえばちょうど半分の折り返し地点。人生も平均寿命からすると約半分。ここまで来ても、あいも変わらずしょもないことで汗を流し涙を流し、いくつになっても、すべての迷いがきれいさっぱり消え去る日なんて来そうにないまま、いまだ元気に惑い続け迷走爆走中の私たち。
それでも20代、30代で流してきた大量の汗と涙を糧にして、今この40代、相当激しく転んでも、よろよろとふらつきながら額から鼻の穴から相当の血を流しながらも、ゾンビのごとく不死鳥のごとく立ち上がる自分の姿をケラケラ笑えるようになってきた。面白いと感じられるようになってきた。もしかしたらその様は、はたから見たらちょっとしたホラーかもしれない。
でも何故だろう。
今そんなホラーな自分が、自分たちがちょっと楽しい。
ひとりを寂しいと思わなくなったわけじゃない。開き直ったわけでも、不感症になったわけでもない。あまりにあからさまな悪意には未だ傷つくこともある。ただある程度の寂しさは自分の両手で抱えながら生きていけるくらいにちょっぴり強くなったような気がする。
ほんのちょっと前、そう30代は「幸せにする」と誰かに約束してほしかった。だから結婚したかった。自分を認めてくれる人が欲しかった。誰かの私に対する約束が欲しかった。拠り所が欲しかった。自分じゃない誰かにその拠り所を求めては、そのとおりにならないと、傷つき、悲しみ、苦しんだ…ような気がする。
確かに、いつどんな自分でも肯定してくれる誰かがそばにいてくれたら、それはとても幸せなことだとは思う。でもそれは、その誰かがいなくてはならないということではない。
いつまでも自分の今を、寂しさを何かのせい、誰かのせいにして嘆き悲しむのは不毛だ。自分の拠り所は、自分がどうしたいか、どうありたいかで、自分「じゃない側」と自分を比較する必要はない。
そんな当たり前のことさえ、しっかり腹落ちするには時間がかかる。頭ではなく体感として理解できるまでにはかなりの時間と経験を要してしまう。少なくとも未熟な私はそうだった。
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