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身長:167cm


"ウィーン生まれの可愛い"の裏側に思いを馳せる、『上野リチ展』

三菱一号館美術館で開催中の「上野リチ」の回顧展。可愛さを求めて入館し、途方もない強さに圧倒されて退館しました。
三菱一号館美術館で5月15日(日)まで開催中の、『上野リチ ウィーンからきたデザイン・ファンタジー』展。
上野リチ ウィーン 三菱一号館
「ウィーン生まれのカワイイです」というコピーと、
カラフルな柄が踊るポスターに惹かれて観に行ってきました。

入館時点の、上野リチに関する私の知識は、

●ウィーン出身の女性デザイナーであり、
●グスタフ・クリムト世代のクリエイターらが始めた
デザイナー集団「ウィーン工房」に参加。
●その後、日本人の建築家と結婚して、京都を拠点に活躍。

といった程度。

でも、過去最大規模というリチの作品の数々を観、
解説を読んでいるうちに、
リチが生きた時代の激動ぶり、
そしてリチ個人が背負っていたものの大きさを知り、
退館する頃には、「カワイイ」よりも
畏敬の念でいっぱいになっていました。
上野リチ ウィーン 三菱一号館
具体的にどのような点かというと。

まず時代背景からいくと、
上野リチこと、フェリーチェ・リックスが生まれたのは
1893年、オーストリア・ハンガリー二重帝国時代のウィーン。
650年もの間、ヨーロッパを中心に強大な勢力を誇った
ハプスブルク家による帝政の末期であり、
貴族中心主義から人間中心主義へと移る、
歴史上最大といっていいほどの転換期でした。

リチ21歳の1914年にはサラエヴォ事件が起こり、
第一次世界大戦勃発。

第一次世界大戦中、リチ25歳の1918年には
スペイン風邪が世界的に大流行。
世界人口の3分の1が感染したというウイルスに
ウィーン工房の端緒となった世紀末芸術の先輩たち、
グスタフ・クリムト、エゴン・シーレ、
コロマン・モーザーらも
バタバタと斃れていきました。

それから、だいぶ端折りますが、
リチ46歳の1939年にドイツがポーランドに侵攻して
第二次世界大戦が開戦。
このころリチはすでに日本在住10年を越えていて、
太平洋戦争に突き進む日本で活躍していたことになります。
1945年に終戦を迎えたとき、リチは52歳でした。

つまり、リチは20代から50代という人間の一番の活動期に、
2回の世界大戦を、しかもオーストリアと日本という、
激震地で経験したのです。

ちょっと待って、生き抜くだけで大変じゃない?

いや、そうなのよ。
まずもって時代が激動すぎるんだけど、
さらにリチ個人の属性をもってして、
これだけの作品を生み出し、
社会的に認められていた、という事実にもたまげるのよ!

リチ個人の属性が何かというと、

まず女性であったこと。
当時、圧倒的な男性優位の社会において
女性の社会的地位は低く、
与えられる機会も男性に比べてずっと少なかったなか、
リチは女性にも門戸を開いていたウィーン工芸学校に入学。
そこで恩師に認められ、ウィーン工房に誘われて
スターデザイナーになるわけですが、
女性で、しかも20代半ばのリチに
吹き付けた逆風は、きっと私の想像を
超える激しさだったのだと思います。

そしてユダヤ系であったこと。
リチは1925年に32歳で上野伊三郎という建築家と結婚し、
翌1926年に来日。
その後10年ほどは京都とウィーンを往復しながら
活動するのですが、ナチス・ドイツが台頭し、
オーストリアに触手を伸ばしはじめたため、
ユダヤ系であるリチは、故郷に戻れなくなってしまいます。

完全に京都に活動拠点を移したリチは
京都市染織試験場図案部の技術嘱託として
太平洋戦争前夜から戦中にかけて、
日本占領下の外地へと輸出されるプリント布地や
刺繍などのデザインを次々に生み出します。

と、簡単に言うけれど、
軍国主義が支配し、ナチス・ドイツと手を結んだ日本において
女性であり、ユダヤ系の外国人であったリチが
なぜそんな活躍ができたのか、
展覧会を見るだけでは理解ができなくて、
未だに分かっていないのですが、
そんな環境と事情を背負ってなお、
リチのデザインから、明るさと楽しさと色彩が
まったく失われないことに驚愕します。
上野リチ ウィーン 三菱一号館
学芸員さんの言葉によると、
リチの筆致には、迷いが全く無いそうです。
きっとリチの中に、常にデザインが溢れるように湧いていて
それを筆に乗せて、一気に描いたのだろう、と。

天才とか奇跡とかって、
ほとんど超科学的存在だと思うのですが
この時代を生き、これだけのデザインを生み出した上野リチは
紛れもなく天才であり、奇跡だったのでしょう。
"ウィーン生まれの可愛い"の裏側に思いを馳せる、『上野リチ展』_1_4
あまりに長文になってしまったのですが
最後にどうしても付け加えたいことが。

リチは、同じくウィーン工房に勤めていた
1歳上の建築家・上野伊三郎と結婚し、
上野リチになるわけですが、
展示終盤に置かれている、リチの生涯年表の中に、
二人がまだ付き合っているか新婚の頃、
湖で船に乗っているツーショットの白黒写真があるんです。
この二人の表情が、もう幸せそのもので、
見ているこっちまで笑顔になっちゃうのですが、
二人は夫婦でありながら、
一緒に建築デザイン事務所を経営する
ビジネスパートナーでもあって、
プロ同士の信頼の固さを窺える作品も、数多く展示されています。

しかし生涯年表を辿っていくと、
伊三郎75歳のとき、リチが先立ってしまうのです。
生涯のバディを遺していかなければならなかったリチの無念、
そしてリチを失った伊三郎のショックと悲しみを勝手に想像して
年表の前でボロボロと泣いてしまいましたよ、私は。
マスク時代で良かったよ……。
まだまだ言いたいことはあるけれど、
いい加減長くなりすぎなので
このあたりにしておきますね。

会期が残り一週間強(5月15日まで)に迫りましたが、
「カワイイ」以上のいろいろなものを感じられる、
素晴らしい展覧会だと思います。
まだの方は、ぜひお運びください!

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