「あの、お嬢さんたち、お話し中に申し訳ありません。ちょっとよろしいでしょうか」
淡いパープルのコクーンチュニック、胸元にはコットンパール、黒のスリムデニムに、足元は白のスリッポンというキレイめカジュアルなマダムがお一人、私たちを見てニッコリと微笑んでいる。どなただろう?
「先ほどは、あの、うちの主人が大変失礼をいたしまして……」
ああ、あの酔っぱらいおじさんの!と、思わず理沙と目をあわせてうなずきあう。
「いえ、とんでもない。大丈夫でしたか?」
「ありがとうございます。店長さんのご配慮で、裏のお部屋のベッドお借りして、少し寝かせていていただいているんです」
どんな酔い方をしたお客でも、そっけなく追い出したりせず、そっと休ませてあげるところが、器の大きい我らが愛しのマスターらしい。
「今お時間、少しよろしいですか?」
「あ、ええ、もちろん。よろしかったら、どうぞ」
そう言うと、理沙はひとつ席をずれ、私との間の椅子にマダムを誘導した。
「あの人、今日は荒れていましてね。気分転換になればと、珍しく外のお店に連れて出て来たのですが、ごめんなさいね、失礼なこといろいろ申し上げたでしょう?」
「いえ、そうでもないです」
「お優しいのね。わたくしの席にも、あの人の大きな声は聞こえてきましたよ」
「あら、そうですか。では、そんな感じです」
理沙がケラケラと笑うと、つられてマダムもやや申し訳なさそうな顔をしながらも、ニッコリした。
「あの調子だから、家を出ている娘にも嫌われてね。顔を見ればああなっちゃうので、もう長いこと会ってもらえないんです。娘は主人がいない隙を狙ってしか帰ってきません。みなさんと同じような年齢じゃないかしら」
「私たち40代の真ん中あたり、です」
「娘もそうです。そしてまだ結婚してないの。頑張ってお仕事しているみたい」
「お父さんからすると、心配でならないってことですよね」
「それにしても、あの人、口下手過ぎますよね」
「いえいえ、口下手どころかとても流暢でしたよ、あたし、散弾銃みたいにダダダダダと打ちまくられましたから」
昔から初対面の人とも臆さず話せる理沙は、数分前に現れたこのマダムとすでに旧知の仲かのように、実に楽し気に語りあう。
「私事ですけれど、実は主人、勤め先から再雇用の延長をお断りされまして……。65歳までしっかり勤める気満々だったので、予想外のことにまあ不機嫌で荒れて荒れて」
「そうでしたか」
「名の知れた大企業ではありませんが、小さな会社の元執行役員でしてね、そんな人が一兵卒として、権限も責任も大きく縮小する中で働くなんて耐えられるのかしら? むしろ周りの方もやりにくいんじゃないかしら?って私なんかは前から思っていたんですけれど、やっぱり難しかったのですかねえ……詳しくは聞けないんですけれど」
会社側も、再雇用で引き続き一緒に働いて下さる、多くの知見と豊かな経験の蓄積をもつ有能な先輩方側も、共にハッピーな状態というのは、どこの企業も実はいまだ探りながら、よりよい姿を構築中なのかもしれない。
新たな環境や人間関係、権利、役割や責任、給与や待遇といった様々な変化へ適応することは、新たな目標や、新たな価値観を作る機会でもあると、ポジティブに解釈したり、前向きな意味づけやマインド形成をして、しなやかに乗りこえていけばいいのです……なんて、言うのは簡単だが、実際より上位の管理職経験があるシニアの方であればあるほど、そうカンタンな話じゃないであろうことは容易に想像できる。
アラフォーの私たちも遠からず到達する「シニア世代」の活躍というテーマをはじめ、理沙が日々葛藤しながらも、よりよい状態を模索し続けている子育て女性が共に長く活躍できる環境、仕事と介護の両立ができる環境や制度の充実など、人生100年時代に向けてヒトゴトではなく、自分ゴトとして、一人一人が考え、変わっていかなくてはいけない、変えていかなくてはいけないテーマはとても多いと、改めて思う。
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