私は意を決して、一番上までしっかり留めてあったブラウスのボタンを2つ、パチンパチンと震える手ではずしはじめる。
「な、何? 飲んでもないのに、脱ぐ気?」
ギョッとした顔の谷原さんの前に、私は思い切って、首からぶらさげていた革ひもの先端をブラカップ付タンクトップの中からぐいっと引っ張り出し、紐の先にぶら下がったピンクのまん丸、そう「マタニティマーク」を、はいっ!と黄門様の紋どころのように3人の目の前に突き出して見せた。
「えーっ、何? 何? どういうこと? え? 須藤さん、おめでたってこと?ちょっと早く言ってよ、あたしたち、ずっと立たせっぱなしにしちゃったじゃないよ!」
仰天した谷原さんは、すごい勢いで結花ちゃんをどかせると、今更ながらずっと立ちっぱなしだった私の腕をむんずとつかんでカウンターチェアに座らせた。
「椅子冷たい? 大丈夫? あたしがさっきマスターにもっと冷やせって頼んだから、このあたりちょっと寒いかな、大丈夫? 真木、そこのブランケットとって」
わかりやすくバタバタしてくれる谷原さんは、外国人のように美しい顔の圧と違って、本当に気配りの人だ。彼女は、私のチェアを自分の方にぐるりと向けると、ひざの上にブランケットをかけてくれた。そして、私とまっすぐ向き合って話を続けた。
「ねえねえ、あなたね、話の展開がイチイチ衝撃的過ぎるんだけど、何? え? おめでたってこと? 何?どういうことよ? 性病から妊娠って、話の振れ幅大きすぎでしょ」
「ごめんなさい。そうなの、出来たの、赤ちゃん」
「ってことだよね? でもなんでそのマークが、ブラウスの中から出てくるの? 普通、バッグとか見えるところにつけるものなんじゃないの?」
谷原さんのごもっともな質問に、カウンターの向こう側で真木ちゃんと結花ちゃんも一緒にうなずいた。
「あの、なんというか、私ちょっとこのワッペンが苦手で……」
「苦手?」
そう、私は昔からこのワッペンが苦手なのだ。だいぶ昔から、ずっと人のワッペンを見るたびに思い続けていたことがある。
それはつまり……このマークは、『私はここ最近Hしました!してます!』宣言にしかみえない、ということだ。
これをバッグに着けて(中には、バッグの前後につけたりスマホにつけたり、なぜか複数個をあちこちにぷらんぷらんつけている人もいる)、彼氏だか夫らしき男性とラブラブで指を絡ませたり、べったり腕を組んで歩いている女性を見るたび、あーこの女の人はこの男の人の前で、足を開いていやらしいことしたってことなんだな……と、勝手に生々しく感じてしまい、こちらが恥ずかしくていたたまれない気持ちになり、ひとりその場から走り去る……ということが昔から実にたびたびあった。
だから、自分がその宣言マークをつけることが、どうにも恥ずかしくて、少なくともおおっぴらにはつけづらくて、ひっそり服の中にぶらさげることになっている。
……と聞いて、正面に座る谷原さんが、あ然とした顔になった。
「考え過ぎだって言われるのも、そんな風に思う人ばかりじゃないってことも、わかってるんだけど、私、自分がずっとそう見てきたからどうしても……」
「いたしてますマークに思えちゃうってこと?」
「うん」
「悪い。あたしにはほんとその感覚がわからないんだけど、それでもまあ10000歩譲って、仮にそんな風にとらえる人がいたとしてね、須藤さんにとっては、自慢の旦那さまなんでしょ? ならいいじゃない。そんな素敵な男性との間に、お子ができましたっておめでたい証ならそれはそれで。事実だし」
「そうなんだけど、でも、私と彼が裸でそういう営みをしているところを想像されたら……って思うともう恥ずかしくて恥ずかしくて」
「コワイコワイコワイ、もう怖いから! こっちが怖いって。やめてよ、そんなの考えたくないし、考えないってば! 大丈夫、誰もそんな須藤さんに興味ないから」
「理沙!」「言いかた!」
結花ちゃんと真木が即座に、本日もう何度目かの谷原さん制止のハモりが飛ぶ。