「なんで?」
「その人とそういうことしてるなんて、絶対に思われたくないから」
「うわ、店長さん泣くわー、それ聞いたら」
「だ、だって、結構なおじいさんだし……」
「だったらなおのこと、誰もそんな変な勘ぐりしないでしょ。大体、須藤さん、店長さんと腕組んで歩いたりしないでしょ?」
「もちろんそんなことしないけど、男女がペアで歩いてたら、そういう関係だと思う人もいるかもしれないでしょ? 私、誤解されるのだけは絶対イヤで……」
「ねえ、須藤さんって大学どこだったっけ?」
「女子大の最高峰だよね」
谷原さんの質問に、私に代わって真木ちゃんが答える。
「旦那は?」
「東大です」
「やっぱり偏差値と、人としての常識力は、必ずしも相関関係ないなって思うよねー、こういう珍妙な発言きくと」
谷原さんが、結花ちゃんと真木ちゃんの方を向いてそう言うと、二人は苦笑しながら、うなずいていた。
珍妙……。変なのかな? 私。でも恥ずかしいものは恥ずかしいんだから仕方ない。
「ちなみに須藤さん、旦那とは大学のインカレサークルで出会ったとか?」
「まあそんな感じ、です」
「で、そのまま早めに結婚ってわけか。っぽいなー。でも何のインカレ? 須藤さんがテニスサークルって感じもしないよね」
「モギコクレン」
「モギコクレン?何それ。キンモクセイみたいな」
「だから、模擬国連」
「うわ、ますます須藤さんっぽい! ちなみに初めての彼?」
「うん、そう。初恋の人」
「はーっ! 初恋の人が初体験のお相手で、初結婚のお相手で、初妊娠のお相手か」
「うん、そう」
「幸せな人もいるもんだなあ。ねえ須藤さん、いろいろびっくりしちゃって、まだちゃんと言ってなかったけど、ほんと、おめでとう。よかったよ、そのモギコクレン時代からずっと大好きな人とのお子さんが出来て」
谷原さんに、まっすぐ目を見てしっかり“おめでとう”と言われ、なんだか泣きそうになった私に、真木ちゃんが氷抜きのミネラルウォーターを入れてくれて、隣の結花ちゃんがそのグラスをそっと持たせてくれた。
「初性病は、まあなくてもいい体験だったかもしれないけど、それ含めて今までたくさんの初めてを、初めて好きになった人とずっと一緒に経験してきたんでしょ。で、次は初めての子育て。好きな人とまた新しい初体験できるって、いいね、ほんと楽しみだね」
こんな話をした私に、まっすぐに「楽しみだね」なんて、こんな満面の笑みで言ってくれる人たちがいる。
なんだろ……泣ける。
「じゃあ、須藤さんに乾杯! おめでとー」
結花ちゃんと谷原さん、真木ちゃん3人そろってチンという綺麗な音を響かせて、私のミネラルウォーターグラスを囲んでくれた。
確かに、今回、彼からうつされてしまった病気は、経験しないで済むならしなくてもいい経験だったかもしれない。でもその後、彼は自分の行動をものすごく後悔して、これまで以上に私の心身をそれはそれは大事にしてくれるようになった。夫婦の営みも、明らかに何かが変わったように思う。今から思えば、その出来事を経ての妊娠だったようにすら思う。
あまりに月並み過ぎて口にしづらいけれど、人生無駄な経験はない、というのはきっと本当だ。いや、無駄ではなかったと思えるような出来事にするのも、出来るのもまた自分であり、自分と彼なんだと、今心から素直に思えている私がいることが、しみじみと嬉しい。